小説 川崎サイト

 

番所の辻


 河野はのんびりと自転車で走るため、裏道をよく通る。車も少なく、また裏通りほどその町の様子が分かる。普通に住んでいる人達の暮らしぶりも分かる。街というのは通りのようなものだが、町はもっと平たい。そのため、町中散歩というのは絨毯爆撃のように、またはローラー作戦のように隈無く散策する必要があるのだが、全ての通りを一度にローラーできない。そのため、河野は密度が濃そうな道をジグザグに走る。
 そこは旧城下町からかなり離れた村だが、城下から一番近い村かもしれない。城下町には商家が並んでいたようで、結構賑やかな場所で、近在だけではなく、遠いところからも来る人が多かったようだ。当然街道が走っている。有名な街道ではないので、河野も初めて聞く名だ。
 これは古い道しるべで知ったのだが、別の街道と交差していたようだ。所謂、辻だ。
 街道は探さないと見付からないほど細く、今は住宅地になっている道路の方が広い。当然表通りは、旧街道に沿った新道で、大通りだ。
 それで河野は、じぐざぐ作戦で、城下外れの旧村をウロウロしていたのだが、特に変わった場所ではない。普通の家と、少し古い農家が混ざっている程度。当然田畑などは周囲にはない。昔は野菜などを城下町に運んでいたのだろうか。その村から先にも村はあるが、かなり遠い。だから、ここまでが城下なのかもしれない。
 さて、そのじぐざぐ作戦だが、河野は細い路地に入り込んでしまった。公園があり、その淵を回っていたのだが、人の家の玄関先に出てしまったが、路地はまだ続いているので、そのまま自転車を滑らせた。すると、また公園がある。住宅に囲まれた庭のようなものだが、結構広い。ここへ入り込む道は狭い路地しかないので車は入ってこれない。家々の裏側なので書庫の入り口もない。
 その公園内に自転車を入れ、そこから出ようとすると、また公園がある。似たような広さだ。そして右側にも、また公園。公園だらけなのだ。ある場所では小径一つ隔てところにある。一緒にすればいいようなものだが。
 公園名が書かれており、児童公園とか、何々町公園とか、ありふれた名だ。特に公園にしなければいけないような空間でもなさそうで、記念碑があるわけでもない。ただの広場だ。申し訳程度に遊具もあるが、その殆どは飾りのようなもの。
 時間は昼前。小さい子などが来ているはずなのだが、誰もいない。それより人がいない。
 公園を取り囲む家々は、いずれも裏側のためか、洗濯物などが出ている。古い農家もあるが、今風な住宅が殆どだ。
 何かよく分からないが、何か引っかかる。人がいないと逆にそんなところに自転車で乗り込み、公園内をウロウロしていることが不安になってくる。ここは立ち入ってはいけない場所ではないかと。
 その解答はすぐに得られたわけではないが、旧街道に戻ったとき、番所の辻というプレートを見た。これは市が設置したのだろうか。結構新しい。史跡のようなものだろう。番所がここにあったのだ。
 こんな村の中にある番所、しかも辻の番所となっているので、街道を見張る場所ではないか。位置的には城下に入る前に通る村だ。番所ができたことは頷ける。それと、あの公園とを河野は結びつけようとした。
 番所と言っても小屋のようなものではなく、関所や代官所のようなものだったのかもしれない。あの公園がその敷地だとすれば頷ける。
 しかし、不気味な公園だったことから、刑場跡ではないかとも考えたが、それならもっと寂しい場所に作っただろう。古い農家が結構あるので、ここではないはず。それなら、牢屋かもしれない。公園が近い場所に何カ所もあるのは、そのためか。不審者は拷問にあったかもしれない。
 地元の人は知っている。だから、その土地が払い下げのようなものになっても買い手がいなかったとかも。ただの大きな番所跡なら、問題はないはずだ。まるで住宅地の中に空いた大きな穴で、誰も手を付けようとしないで、今は公園になったのかもしれない。
 河野はもう一度じぐざぐ作戦で、その一帯を走ると、公園は全部で四つある。一箇所にこれだけ多くの公園はおかしい。
 それよりも、公園内を自転車で走っているとき、ゾクッとするようなものを感じた。これは近所の人に見られているのではないかという視線だが、公園なので、そこまで神経を使う必要はない。誰が入り込んでもいい場所だ。それに通過するだけで、公園内で何かをしていたわけでもない。ベンチで休憩してもかまわない。河野はよく不審者に間違えられるので、最近は身なりの良い服装をしている。自転車もママチャリではない。当然運搬車ではない。
 ここは公園ではなく、何等かの忌み地ではないか。それがゾクッとする理由だが、そういう霊感を得たわけではない。これは町の人の公園扱いから感じたのだ。
 昼前、年寄りの一人ぐらいはベンチに座っているものだ。ベンチの数は多く、また豪華なベンチなのだが、人が座った形跡がないようにも思える。
 近所の人は知っているのだ。
 裏道に入り込むと、こういうものとたまに遭遇する。何かを隠しているわけではないが、意味有りげな何かがある。河野はそれを忌み地と名付けている。
 
   了


 
 

   


2015年9月23日

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