小説 川崎サイト

 

凡庸な兄の話


 大きな農家と言うより、この地方の領主に近い。田畑の大半はこの本坊家のもので、農奴は百を越えている。さらに周囲の山も本坊家のもので、ここからの収入も多い。多くの木樵を抱えている。
 当主は年を取り過ぎ、そろそろ隠居だ。しかし、その年まで家督を譲ろうとしなかった。二人の兄弟がおり、娘の数も多い。他にも男子はいるが、妾の子なので、後継者になれない。
 兄は凡庸で大人しい。地味な人だ。弟は実力者で、実質的に本坊家を支えている。しかし、嫡男が跡を継ぐのは、この家での慣わしだ。そうでないと、跡目争いが起こるため、長男が継ぐという決まりを定めていたが、これは三代前からで、その前は実力があり、器量のある子供なら、三男でも四男でも継ぐことができた。しかし、家を割っての争いが何度かあり、本坊家が三つか四つほどに分裂したことがある。それを避けるため、長男が継ぐことで、相続争いをなくした。
「兄上」
「ああ」
「本坊家の家宝、全て兄上に差し上げます」
「ああ」
「ただし、山や田は私が引き継ぎます」
「そうか」
「父上は間もなく亡くなるでしょう」
「そうだな」
「その前に、跡目は私が」
 要するに弟は、金目のものは渡すから、出て行けと言うことだ。一生遊んで暮らせるだけの金銀や財宝、それに、食べていけるだけの田畑と山の一部も渡すという。
 しかし、兄が跡を継げば、全て兄のものになるのだから、弟からもらう必要はない。
 兄が断れば、争いになる。この兄にも味方する親族が少しはいる。血を見ないといけないかもしれない。
 兄は呑気なので、自分が跡を継げると思い込んでいた。相続できない弟は、早い時期から根回しをしていた。当然それだけの実力があり、本坊家の跡取りとしては父よりも優れていたのだ。
 兄もそれが分かっていたので、大人しく持山の奥へ引っ込んだ。
 弟は父親が亡くなる寸前に、それを認めさせ、無事に本坊家を継いだ。
 しかし、この小天地は弟の代で戦に巻き込まれ、新たな領主がこの地を奪ってしまった。本坊家は負けた側に付いたため、滅んだようなものだ。
 臆病者の兄は、その後も普通の大百姓程度のままで、本坊家としての力はもうない。ただの百姓と同じだった。
 領地とも言える弟が引き継いだ田畑は全て失われたが、兄が持っていた山や田畑は無事だった。その後も、この地は領主が次々に変わった。
 戦がなくなったのは、大きな勢力が天下を取ったあとだ。その頃、兄はもう老人になり、ただの百姓爺になっていたが、本坊家の跡を継いでいる。
 本坊家は後に大庄屋となり、今もその子孫は続き、旧家とか名家と言われている。
 凡庸で臆病で、野心がなかった兄は、戦乱の時代、息を殺して、じっとしていただけだった。
 意外とこういう人が生き延びるが、名を残すほどの大きな仕事はやっていない。
 ちなみに弟が巻き込まれた戦で、勝ち組になっていたとすれば、ちょっとした大名家になっていたかもしれない。実力のある人だったので。
 
   了





2015年10月5日

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