小説 川崎サイト



蕎麦屋

川崎ゆきお



「何か出てくるのではないかと思いながら、やって来たのですが何も見えないし、何も新たなものも見いだせません」
 蕎麦屋のベテラン店員三村が語る。
 三村は中学を出て都会へ就職した。今ではベテラン中のベテランだ。
 蕎麦屋の大将は高齢で、滅多と店には顔を出さないのだが、今日は珍しく来ていた。
「そう考えることもないさ。三ちゃんほどのベテランが今更何を言ってるんだ」
「でも大将、まだ工夫はあるはずなんです。やらなければいけないことがあるはずなんです」
「真面目だなあ。三ちゃんは。でも、あんまりやり過ぎると、新入りがいなくなるからね。ほどほどがいいよ。ほどほどが」
「私も大将に仕込まれて、ここまで来たのですよ」
「わしは、そんなに厳しく教えたわけじゃないよ。分かることなんだからさ。やってりゃ。で、今度入った昭一はどうだ?」
「動きの無駄が取れないです」
「そりゃ、仕方ないだろ。まだ一年経ってないんだろ。四十年やってる三ちゃんと同じようにはいかないよ」
「私もまだまだ未熟者です」
 大将は感心したのか、目を閉じる。
「まあ、三ちゃんのお陰で、うちの味は昔と同じだ。常連さんが言ってたよ。これだけでも凄いことなんだ。ダシの案配をきちっと守ってる証拠だ」
「昆布も鰹も、どんどん変わってくるんですよ。醤油だってそうだ。それで味が変わったって言われると大将やお客に申し訳がたたない」
「でもね三ちゃん、そんなに根を詰めることはないよ。時代によって味も変わるさ。別に怒りはしないさ」
「どうです一杯」
「そうだな。久しぶりに食べてみるか」
 三村の手早さは、芸の域に達していた。蕎麦の湯を切る手つきは見えないほどだ。
 流れるような仕草であっと言う間に出来上がった。
「流石だね」
「熱いうちに」
「ああ、いただくよ」
 大将は蕎麦を喉に流し込む。
「三ちゃん」
「何か問題でも」
「もう、これで充分だよ」
「未熟者です。何とか手を考えないといけないんですが、何にも見えてこないんです」
「ねえ、三ちゃん」
「はい」
「しがない立ち食い蕎麦屋だ。蕎麦も出来合いの玉だ。これ以上、どうにかなるものじゃないと思うよ。精進してくれるのは嬉しいけどね。これ以上の奥はもうないんだよ」
「いや、私にはまだ優雅さが……」
 
   了
 
 



          2007年2月19日
 

 

 

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