小説 川崎サイト

 

サングラスと革ジャンの男


「寒くなってきましたなあ」と、村田老人が言ったが、反応がない。
「ああ、そうですねえ」しばらくして、黒岩が応えた。
 その後、沈黙が続いたのは、それ以上話が延びないためだろう。それに話すようなことがないし、ここで語るようなこともなかったようだ。
 二人は初対面で、郊外というより田舎に向かうバスを待っていた。
 村田老人は終点の山村に戻るところが、黒岩はサングラスを掛けた長身の男で、老人から見ればまだ青年、若造に見えるだろうが、四十代だろう。サングラスに革ジャン、そして小振りの手提げバッグを持っている。
「革ジャンじゃ寒いでしょ」
「年中、これですから」
「下に、着込むわけ」
「いえ、このままです」
「セータぐらいいるでしょ。もう寒いし」
「毛糸のセーターは女からもらうもの、自分で買うものじゃない」
「あ、そう」
 村田老人はやっと噛み合う会話ができたので、満足した。
「ところで親父さん」
「あ、はいな」
「終点の村までどれぐらいかかりますか」
「一時間かな」
「その先へ行くバスはありますか」
「うちの村が終点で、その先はないよ」
「村に旅館はありますか」
「ないです」
「しかし、時刻表を見ると、このバスに乗ると、もう翌朝までありません」
 村田老人は、もう会話をしたくなかった。挨拶代わりに一寸話したかっただけなのだ。それに、こんなサングラスに革ジャンの男と本当は関わりたくなかったのだろう。触らぬ神に触ってしまったようなものだが、これは確信犯だ。分かっていながら声を掛けたのだ。
 このまま会話を続けると、村田老人宅に泊めることになりかねない。バスはあと七分ほどで来る。乗ってから一時間ある。別の席に座り、関係を絶とうと考えた。
「宿屋の他に泊まれるような場所はありませんか」
 村田老人は、その返答よりも、目的が知りたかった。
「何もない場所ですよ」
「それは知ってます」
「ああ、村のことをご存じで」
「はい、生まれた場所ですから」
「えーと、お名前は」
「黒崎です」
 そんな姓の家はない。
「黒崎さん。はて、聞いたことがないが」
「正岡の嫁です。母は」
「母」
 村田老人は大急ぎで、頭を回転させた。正岡の息子には確か嫁が二人いた。最初の嫁だろう。子供を連れて出て行ってしまった。その子が、このサングラスの男かもしれない。
「じゃ、合ったことはあるかもしれませんなあ。正岡の嫁も知ってますし、その赤ちゃんも見たことがありますよ。つまり、あんただ」
「そうですか」
 村田老人は、これで難が避けられたような気になった。この男の目的は父親に合いに行くためだろう。しかし、それなら宿屋の心配をするのはおかしい。それに日帰りで戻るのなら、夕方のバスに乗らないだろう。だから、しばらく滞在するのかもしれない。
 村田老人は村のデーターベースを頭の中で検索した。正岡とは幼友達だが、それほど親しくない。その息子の長男の嫁の子が、この男。幼友達の正岡はまだ健在。長男、つまりこの男の父親は家を継いでいるが、次にもらった嫁が仕切っている。この二人目の嫁は愛人だった女だ。本妻と子供を追い出したようなものだ。
「お母さんはお達者ですかな」
「はい」
 追い出された嫁は亡くなっていない。
 やがてバスが来た。
 二人はすぐに乗る。席は別々になった。黒岩が避けたようで、一人がけの席を敢えて選んだようだ。
 村田老人は二時間サスペンスドラマのイントロを見ているようで、どきどきした。
 黒岩は正岡家で夕食を食べ、しばらく滞在し、何事もなく過ごしていたようだ。その間三日。
 赤ちゃんのときなので、村の記憶が全くなかったが、母親から聞いた村の風景を、一度見たかったのだろう。
 それなら、サングラスは余計だが、これはこの男のスタイルのようだ。
 黒岩が村のバス停に立っている。
 誰も見送っていないのを見て、村田老人が近付いた。
 それを見た黒岩はサングラスを外し、軽く頭を下げた。
 
   了


2015年11月15日

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