小説 川崎サイト

 

観念寺家の家訓


 観念寺家は東から攻め込まれていた。結構な大軍だが、出来星大名で、何か正体がよく分からない。当時の国で言えば二カ国を領している。一方観念寺家は半国も領していないが、近隣の大名とは仲がよく、その連合で持っているようなものだ。
 そのため大軍が攻め寄せてきても、問題はない。しかし、東側に数珠つなぎで並んでいた同盟国の城が次々と落とされていった。まるで将棋倒した。このままではお隣の同盟国も危ない。そこを落とされることは観念寺の殿様は考えていなかったのだ。
 観念寺家は古い家柄で、名門中の名門。名だけではなく、半国を領し、数千の兵を持っている。
「将棋倒しですなあ」観念寺家の宿老が笑いながら言う。将棋倒しという言葉が可笑しいのだろう。
「策はあるか」
「このままでは、この本城も落ちます。落ち行き先は用意しております。今なら色々なものが持ち出せますし」
「和議はならぬか」
「なっても、領主は切腹ですなあ」
「他の家来は」
「無事です」
「世だけ切腹すればよいのか」
「そうです」
「それは無理だ」
「分かっております。だから、お逃げください」
「そんなに敵は強いのか」
「はい」
「同盟国はどうなった」
「逃げました」
「では、すぐに出城や砦に命令せよ」
「逃げるようにですか」
「そうだ。抵抗しても仕方あるまい。もう迫っておるのだろ」
「はい」
「落ちる先は何処じゃ」
「西国です」
「そうか」
 半国の領主、その家来も多いのだが、実際には地侍が多く、観念寺家に対しての忠誠心は薄い。
 領土を守っていた家臣達は次々に寝返った。同時に東側の同盟国も、あっさり降参し、領主は逃亡した。その領主、捨ててもいいほど、あまり経営状態がよくなかったのだろう。
 観念寺家の殿様も主だった家臣だけを連れて西国へ落ちた。その数二百と言われている。荷駄隊や小者も入れての数なので、名のある武将は五十騎程度だろう。
 その道中、同盟国の一行と一緒なり、賑やかな道中となる。
 観音寺家主従が気楽に逃げ出せたのは先祖からの土地ではなく、発祥の地は西国にあったためだ。当然そこは今も飛び地で、観念寺家の領地でもある。また先祖が何かの恩賞でもらった領地もある。そういう飛び地が方々にある。だから、落ち行き先は十分あるのだ。
 東から攻めてきた出来星大名は瞬く前に西国まで攻めてきたが、その途中で謀反に遭い、高転びに転んでしまった。大きな権力が滅んだが、後を継いだ武将は観念寺家に好意を持っていたというより、昔は主従関係にあったためか、元の国に戻れた。ただ、半国がさらに半国になってしまった。
 観念寺城は籠城しなかったし、もぬけの殻だったので、燃やされることもなかった。
 しかし、東西の真ん中に当たるこの地を、天下人は、ここを本拠地とするため、巨大な城と城下を作った。そのため観念寺家はまた引っ越すことになる。今度はまた領土が半分になり、かなりの僻地に移された。
 観念寺家この戦乱の時代、何とか生き延びたことになる。
「将棋倒しになりかかったときは恐ろしかったですなあ」宿老は、まだこの将棋倒しという言葉が気に入ったのか、にやにやしながら殿様と話している。
「そうだな」
 この宿老、観念寺家の家訓を作った人でもある。それは、ただの一言。
 これは言うも恥ずかしい家訓だが、
「早い目に観念すべし」だった。
 
   了





2015年12月13日

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