小説 川崎サイト

 

桜の皿


 北島はカレーが好きなわけではないが、自炊の都合上、作るのが邪魔くさくなり、適当なもので済ませることが多々ある。その多々のとき、カレーが来る。他のものでもいいのだが、周期があり、前回カレーだった場合、次は別のものにしている。だから、カレーは久しぶりだ。
 しかし、作るのが邪魔くさくてカレーにするというのは話としてはおかしい。カレーは結構具がいるし、本気になって作るとなると、邪魔くさいとか言ってられない。だから、そういうカレーではなく、安いレトルトカレーだ。温めればすぐに食べられる。当然ご飯がなければだめだが、ご飯は残っていた。
 レトルトの安いタイプなので、具は殆ど入っていない。どろっとした黄色い汁掛けご飯のようなものだが、一応西洋皿を使う。これでカレーらしくなる。これをどんぶり茶碗で食べると、丼物になる。やはりカレーは西洋皿と匙で食べるのがいい。
 そして食器棚から西洋皿を出そうとしたとき、思い出した。割ったのだ。だから、ない。滅多に大きな西洋皿に盛り付けて食べるようなことがない。前回焼きめしを作ったとき、その西洋皿で食べたのだが、食後、そのまま居間に放置していたため、汚くなったので、そっとつかんで台所へ運ぶ最中、手を滑らせたようだ。しっかりと持たなかったのだろう。
 そういうことはすぐに忘れる。たかが西洋皿程度のことだ。
 しかし、レトルトカレーは温まっている。早く食べたい。
 そこで、台所の物入れの下にある段ボールを開けた。引っ越しのとき、持ち込んだ食器類などが入っている。皿の予備ぐらいはあるはず。買った覚えもある。
 皿は新聞紙一枚一枚でしっかりと包んでいた。そのため西洋皿らしき大きさの包みが三枚あった。その一枚を取り出し、新聞紙を破ると、妙な匂いがした。実際の匂いではない。皿を見て思い出したのだ。
 それは桜の絵が描かれた西洋皿で、北島が生まれたときから見ていた大昔の皿だ。実家にあったのだろう。若い頃、アパートに引っ越すとき、家にあったこの皿を持ち出したのだ。つまり自分の茶碗や箸やコップ類などを荷にして引っ越したことになる。布団もそうだ。
 この桜の皿は五枚あったようで、家族分だろう。予備があったのかどうかは分からない。ただ、カレーや焼きそば、ばら寿司や、クリスマスケーキなども、この桜の皿の上に乗っていたのを覚えている。
 つまり今、北島が持っている物の中で、一番古いのがこの皿だということに気付いた。よく割れないで、今まで残っていたものだ。おそらく使っていたのは最初だけで、いつの間にか桜の皿が恥ずかしく思え、無地の皿にしたり、適当な皿に変え、桜の皿は使わないで放置していたのだろう。だから、割れないで残っていたのだ。
 当然だがその皿で、たとえレトルトカレーでも、家のカレーの味がした。
 
   了




 


2015年12月22日

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