小説 川崎サイト

 

ふと


 少し間ができたとき、ちょっと何かを思い出すとき、いつも似たようなものになるのだが、何かの拍子で、思わぬものを思い浮かべることがある。それは言葉だったりもする。
 田島はそれを何らかの啓示だとは思わない。そこまで考えると啓示だらけになってしまうためだ。
 ふと思い浮かぶことが、いつも似たようなものになるのは、これは最近の状況が影響しているためだろうか。やはり今気にしていることとか、気になっていることを思い出す。そして、それら常連さん達とは違う全く別のところから、飛び込んで来るものがある。直前に見たものとか、関連性のあるものなら納得できるが、それらとも違う。
 田島流に分類すると、流れ弾、流れ矢のようなもので、作為的に命中したわけではない。この流れ矢、天下を左右するほどの有名な武将が当たって亡くなっている。戦場で華々しく討ち死んだのではなく、移動中、流れ矢に刺さって果てている。足利尊氏のライバルだった新田義貞だ。
 そういう矢は、誰かが射たのだろうが、敵の大将を射止めるためではなく、逸れたか、上に上がりすぎたのか、風に乗って飛んできたのかもしれない。よほど風の強い場所だったのだろう。
 この流れ矢のような事柄は、ただの雑念とは違うようで、何らかの連想の中から出てきたのではなく、突然思い浮かぶのだ。
 田島は実はそれを楽しみにしている。このふと思い浮かぶタイミングだが、ご飯を食べているときや、トイレに入っているとき、階段を上がっているとき、など、いつ来るか分からない。逆に何かを思い出してやれと考えているときは常連さんのネタしか出てこない。常連さんとは、いつものネタのこと。
 田島説では、これを偶然と呼んでいるが、必ずしもそうではなく、偶然であることが気付かないような偶然らしい。だから本人は偶然だと思っている。
 この偶然浮かぶものは、普段とは違うことをしたり、刺激的なことをしたときに来るわけではなく、本当にふとやって来る。
 本当のふとなどないのだろうが、本人にとってはいきなり来た感じがする。それで啓示めいてみえるのは、大きな波紋を残すことがあるためだ。
 その波紋とはそれを思い出し、その後の展開が変わるほど、影響を与える。これは急にいいことを思いついた、などもある。当然、急に心配のネタを増やしたりもする。いずれにしても、その後、影響を与えるから啓示のように見えるが、さっと通り過ぎれば、ただの雑念として終わる。
 いずれにしても、ふとの手前にきっかけがある。そのきっかけでスイッチが入ったのだが、何がスイッチなのかが分からない。
 いずれにしても、自分でスイッチを入れているようなもので、その自覚がないだけで、何処か遠いところにスイッチがあるのだろう。
 そうではなく、そんな因果関係がない状態で来るのが、啓示だ。しかし、これは確かめようがない。
 普段の散歩コースがあるように、頭の中にも散歩コースがあるらしく、リアルでの散歩でも、見えているのだが、意識して見ていないものがある。
 だから意識に上る直前で、引っ込んだものが、何かの拍子で飛び出るのかもしれない。
 
   了
 





2015年12月24日

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