小説 川崎サイト

 

微熱中年


 古田は今朝は暖かいと感じたが、部屋の寒暖計は昨日と同じだ。
 牛丼屋の朝定食から古田の一日は始まる。その前から始まっているのだが、やはり暖かい。店までの道は襟を立てた上にマフラーをし、さらに首をすぼめて自転車で行くのだが、今朝は背筋を伸ばし、肩の力も落としている。
「どういうことだろう」
 牛丼屋に入ると、むっとするほどの空気が走った。暖房を効かせすぎているのではないかとオーバーをすぐに脱ぐが、コートを着たまま食べている人がいる。
 自分だけ異常気象なのかと心配になり、額に手を当てるが、熱はない。念のため首の後ろにも当てるが、いつもの暖かさで、熱があるときの熱さではない。
 また、店に到着したとき、いつもなら少しだけ息が弾んでいる。それが今朝はない。
 これは悪いことが起こりそうだと、古田は心配になる。
「熱がこもっているのではないか」
 表面に出ない熱。これは風邪を引いたに違いないと、古田はすぐに納得した。しかし、息が静かだし、心臓も静か。機嫌もいい。元気なときの状態と同じだ。気運もみなぎり、はつらつとしている。頭もよく回転し、ものも普段より、よく見える。ちなみにメニューを見るが、これも視力がよくなったように鮮明に見える。いつもは「ブ」だと読んでいたのが「プ」だと気付くほどだ。
「これはおかしい」
 牛丼屋の朝定食は焼き鮭で、これに味噌汁があれば、それでいい。
 これをあっという間に平らげてしまった。いつも食べない鮭の皮まで。ご飯も足りない。
「別の自分を履いてきたのかもしれない」
 古田は古典的なSFのショートショートを思い出した。これが自分に降りかかっていなければ、コントだ。
 そして帰ってから、部屋で仕事を始め、昼前になると、もうそんなことは忘れていた。仕事の効率は確かに良く、怖いほど調子が良かった。
 そのため、昼前に、もう午前中の仕事を終えていた。
 それで早い目に昼を食べに、食堂街のある駅前へ向かったのだが、寒い。
 朝より気温は上がっているはずなのだが、体が震える。朝の服装と同じなのに。
 それでも古田は元に戻ったのでほっとした。
 昼食後、午後からの仕事に取りかかったが、これが調子が出ず、煙草とコーヒーばかりが捗った。
 あの午前中の調子の良さは、何だったのかと思うのだが、あんな良い状態はやはり怖い。今の相変わらずの調子の方が逆に安心だったりした。
 
   了



2015年12月31日

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