小説 川崎サイト

 

日々寧日


「寧日か」
「ねいじつ?」
「安らかな日だ。平穏無事と言うことだな」
「それが何か」
「これが一番尊い」
「そのまま涅槃に入られたら、そこへ行けそうですが」
「それまで、時間がまだある」
「あ、はい」
「日々寧日」
「そんな額がありそうですねえ」
「あったとしても、平穏な日々ではない人なのだろう。願いを筆にし、飾ってある」
「売ってるかもしれませんよ。夢とか」
「夢という一文字の掛け軸は見たことがある」
「印刷でしょ」
「まあ、そうだが」
「最近、平穏に暮らしておられると兄弟子に聞きましたが」
「そうはいかない。色々なことで波立つ」
「まあ、それは仕方がないでしょ」
「心の平安がない。常に忙しげに、気持ちが動いておる。別に大したことではなくても、小さなことで苛立ったりとか」
「じゃ、気の持ち方でしょ」
「ほう、たとえば」
「気安くとか、気楽にとかです」
「ほう、それはよく聞くが、なかなかその境地に至らぬ」
「気をもむことなく、気楽にやられればいいのですよ」
「日々寧日は遠い」
「和尚さんがそんなこと言っちゃ、何ともなりませんよ」
「修行が足りぬわけではないが、修行の効率が悪いのかもしれん。いくらいいものを食べても胃腸の調子が悪ければ、うまく消化吸収せず、滋養にならん」
「じゃ、お腹の調子から治されればどうですか。野菜中心のお食事に。裏山は幸い野草の楽園ですから」
「その楽園、薬園だな」
「はい」
「楽園、阿弥陀浄土。それを目指しすぎたからいけないのかもしれんのう」
「和尚さんはこの業界でも珍しく、修行をやろうという尊い坊さんです。仏に近付こうとする、修行僧です」
「まあな」
「修行はいわば無理なことをやるわけですから、我慢が必要です。苦行ですから。だから、平穏な日々など無理ですよ」
「そんな荒行をしたわけじゃないが、荒っぽいことをして、体力気力とも使い果たしたあと、涅槃が見えたりする。空になったようにな」
「それそれ」
「しかし、暴れないと、それが出てこないのが欠点だ」
「あ、はい」
 そこにもう一人の弟子がやってきた。
「和尚さん、法話の時間です」
「ああ、すぐ行く」
「前回花火のようにドカーンドカーンと受けましたから、今回もよろしく」
「また、身の覚えもないような嘘を喋るのかと思うと、平穏ではない」
「その刺激が好きなのでは」
「そうだな」
 法話の聴者は年寄りが多く、これは演芸場に来ているようなもので、和尚の嘘話を楽しみにしており、ここで座って聞いているときは、心穏やかな気持ちでいられるようだ。
 
   了


 


2016年1月1日

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