小説 川崎サイト

 

ダンジョン市場


 少しだけ古い住宅が並んでいる町の一角、そこはまだ田圃の畦道が残っていた頃にできた市場がある。アーケード付きの商店街だ。その時代、よくあった公設市場。当然それから六十年以上経つので、もう存在していない。
 しかし、その建物は残っている。ただ、外見は普通の古い長屋のようなものなので、普通の家と変わらない。市場と言っても向かい合った店舗の間の通路の上に屋根があるだけだが、このアーケードは後付けではなく、最初から一体型だった。
 高橋はこういう物件を見つけるのがうまい。普通の人なら通り過ぎ、見過ごすところか、見ても特に用事がないのなら見なくてもいい物件まで見てしまう。高橋以外、用はないようなダンジョンのためだ。
 ダンジョン、それは地下迷宮、迷路のようなもので、モンスターが住むような洞窟なども、これに該当する。その洞窟の入り口を高橋はめざとく見つけたのだ。しかも二つあった。
 普通の路地ではない。屋根がある路地。そのため、中は真っ暗。昼なを暗いのは当然で、光が差し込まないためだ。しかし、その奥に明かりがある。行灯のような四角なものが。
 高橋はそっと足を踏み入れ、その行灯の文字を読むことに成功した。「営業中」と書かれている。それだけだ。何を営業しているのかは分からない。
 闇の中、高橋は看板の前まで来た。近所の人でも、この洞窟に入り込む勇者はいない。子供も近付かない。店舗は当然全滅しているが、二階は住居になっており、まだ住んでいる人がいるかもしれない。
 下から二階部分の窓などは見えない。暗いためと、看板が邪魔をしている。
 さて、営業中と書かれた店に入ると、中はがらんとしており、商品らしきものはないが、何か妙な臭いがする。香ばしい。お香屋やかもしれない。または葬儀屋だろうか。しかし、壁際に棚があり、引き出しや扉もある。箪笥のようにも見える。
 店の突き当たりにガラス戸があり、カーテンが掛かっている。
「はい」
 高橋の足音、物音で気付いたのか、老人が出てきた。真っ白な割烹着を着ている。深海のように静かなので、人のわずかな物音でも、すぐに分かるのだろう。
「ここは何屋さんですか」
「知らないで来たのかな」
「はい」
「乾物屋だよ」
「あ、営業しているのですか」
「ぼちぼちね」
「でも、客は誰も来そうにありませんよ」
「たまに来るよ」
「でも、品物が」
 老人は壁際を指さす。先ほどの物入れのような棚だ。
「乾物が入っているのですか」
「そうだよ。あなた、客じゃなさそうだから、中のものに興味はないね」
「あります。何が入っているのですか」
「四十年ものの昆布と鰹節だよ」
「はあ」
「ここ一番の勝負に、買いに来る板前がいる。こんなもの何処にも売ってないからね」
「四十年物」
「ああ、五十年前、もうこの市場は終わった。お隣は鮮魚店だ。真っ先につぶれた。今もしつこく残っているのはライバルの乾物屋だ」
「この商店街に二軒もですか」
「そうだ。この奥の突き当たりを曲がれば、その店があるはずだ」
 この商店街はV字型になっており、まっすぐ抜けられない。別の通路から表に出るようになっており、そのため、入り口が二つある。どちらも入り口であり、出口だ。その中間にも通路があり、二つのアーケード通りを結んでいるが、そこは三角形の中庭、市場の裏のため、味噌樽や陳列台の古いのが放置されており、結構狭苦しい。ここも商店街だと勘違いしそうだし、逆にアーケードはもうないので、外に出たのかと思ったりする。しかし、出口はない。そのためここに迷い込むと出られなくなる。
 さて、二人の話は続く。
「そこも乾物屋なのですか」
「そっちは中華ものだよ」
「あ、そうなんですか」
「乾物は強いよ」
「そうですか」
「しかし、あそこの親父も、乾物になっているかもしれないねえ。もう長いこと見ていない」
「怖いです。それって、ボスモンスターになりそうです」
「モンスターかい。確かに化け物だよ」
「もしかしてあなたがラストボス」
「それはいいが、私もそろそろ乾物になりかかっている。買うなら今だよ」
 高橋は持ち金をはたいて昆布を買った。
 老人は着物を包む紙のようなものを開け、長細い昆布を指先で取り出した。非常に軽いのだ。
 しかし、四十年も放置した昆布など、もう炭になっているだろう。
 高橋は湯豆腐に、その昆布を敷いた。信じられないようにおいしかった。
 
   了

 

 


2016年1月8日

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