小説 川崎サイト

 

血なまぐさい村史


 北村があるのなら、南村や東村、西村などもあるはずだが、そんな村は近くにはない。これは北村ではなく、喜田村だった。喜びの田と書くが、あまりいいことがなく、争いの絶えない村で、血なまぐさいことが続いたため、北村に改めた。
 北村という人が住んでおり、その人が村の有力者、そして改革をした人なので、北村になったとされている。では最初の喜田村とは何だったのか。喜田村の前は喜多村となっている。いずれも喜ばしそうな村名だが、期待外れに終わったのだろう。
 北村という人は他所から来た人だが、ただの百姓ではない。この人が喜田村を北村にしたのだと言われているが、その北村という姓の家は一軒も残っていない。
 近年になって、普通に引っ越してきた人で、北村姓は何人かいるが、その北村ではない。また今はカメラのキタムラが店を出しているが、それとも関係がない。
 喜田村時代、血なまぐさかったのは、まさに血のなさせる仕業だが、決してそれは吸血鬼やゾンビの村ではない。おかしな家が何軒かあり、悪い血を受け継いでいたようだ。それが三軒か四軒もあり、一軒でもややこしいのに、複数あると、黙っていても争いになる。これは血が騒ぐためだろう。
 これは遺伝ではないかとされているが、ただの気性だろう。血気盛んというのではなく、残虐性を好むのだ。人の好みは様々だが、これは趣味とは言えないレベルに達している。
 北村が越してきたのは、空いていたからで、以前からいた村人が消えてしまったり、逃げ出したため、空き屋や未耕作地になり、そこに北村一家が入った。百姓なのに姓がある。何処かの土豪だったようだ。
 血なまぐさい家は四軒、そのうちの一軒は三軒につぶされ、北村が来たときは三軒になっていた。この三軒をたぶらかして三つ巴の争いに持ち込み、三家とも滅ぼしてしまう。それで、その種の血筋の家は消えた。これを改革と言っているが、実際には村内での大喧嘩と同じで、大変な血を見ている。
 これで喜田村は平和な村になり、これを機に、村名を北村と改めた。
 その村の恩人のような北村は、今はいない。この家が村のドンとして残るはずなのだが、不思議と消えている。しかも一家全滅。
 それは三家を追い落とした北村の孫の代に起こっている。
 綺麗さっぱり北村の血筋の家は、そこで消えた。これは復讐だ。こういうことに得意な血なまぐさい三家の生き残りの仕業だった。
 しかし、彼らも村に居残ることなく、姿を消している。
 北村、今は平和な村で、そんな血なまぐさい惨劇など、もう誰も知らない。その縁者も、もういない。
 
   了

 

 


2016年1月11日

小説 川崎サイト