小説 川崎サイト

 

妖怪博士


 人が信心深くなるのは、突然の災難に襲われたりしたあとだろうか。信心、信仰対象が最初からあるわけではなく、後付けだろう。
 災難、これが起こるべきして起こったことや、身に覚えのあることなら、その限りではない。防ぎようのないような災難に遭遇したとき、次回からはそうならないように防御するにしても、対象が広すぎたり、何をどう防御し、備えるのかが分からない。だから災難として片付けるのだが、できれば、二度とそんな目に遭いたくない。
 そこで出てくるのが信心だ。信じる心。
 何を。
 それが信仰物となり、これは神でも仏でも、何でもかまわない。お守り袋を肌身離さず身に付けてもいいが、風呂場ではどうするのか。これは家内は安全で、危ないのは外だけ、ということにしているが、意外と家の中で怪我をすることが多い。特に風呂場で滑って、頭の打ち所が悪ければそれまで。また、寒い日の入浴も、頭の線を切りそうだ。
 自分を信じて生きるというのもあるが、この自分が一番危なかったりする。信じすぎると何でもありになり、自分がやることなら何でも正しいとなる。
 見捨てられた神々。これは、信仰対象になっていたのだが、いつの間にか消えてしまった。こういうものにも流行があり、また、期限もあるのだろう。
 一度は聖なる最高位にあり、人々からあがめられていた神でも、捨てられることがある。これが怖い。これは聖なるものに限らず、人でも同じだ。
 妖怪博士は最近このタイプの妖怪について考えている。それは正月が明け、松飾りなどを取り払った十五日過ぎのトンドという行事を近所の神社で見たときだ。聖なるアイテムが次々と火にくべられ、燃やされている。こんな野蛮なことをしていいのかと思いながらも、これは妖怪化しないための儀式だと解釈した。
 去年の縁起物や、御札が燃やされているのだが、こういうものには有効期限がある。そのまま放置しているより、燃やして、煙にし、天に戻した方がいいのだろう。では灰はどうなるか。これは土に戻す。天と地に戻すのだが、樹脂製が問題だ。また陶器ものも問題だが、これらは粉々にして、土に埋めればいい。樹脂製は、石油には戻らないだろうが。
 アイテムにも有効期限がある。これは神社が言い出したのかもしれない。できれば、有効期限一年が好ましいだろう。ではお守り袋は何年持つかだ。これは袋ではなく、その中に入っている紙や木札にもよる。そこに何が書かれているか。
 こういう縁起物、縁起がいいのだが、下手をすると縁起の悪いものになる。災難除けが、災難招きになりかねない。
 縁起物は神仏ではないので、捨てられた神とは言いがたいが、誰も信仰しなくなった神々も多いだろう。
 捨てられた神が、変化(へんげ)するというのは、聞いたことがある。妖怪博士もそれは知っている。妖怪として扱われているが、元を正せば立派な神様だった。それが妖怪化するのは、見向きもしなくなるとか、拝む人がいなくなったとか、理由はいくらでもあるが、誰からも相手にされなくなると、人間でも妖怪化しそうだ。神でも妖怪化するのだから、人間ならなおさらだ。
 と言う話を、正月明け、妖怪博士付きの編集者に話したのだが、編集者曰く、だから博士も妖怪になってしまいますよとのことだった。
 
   了

 

 


2016年1月18日

小説 川崎サイト