小説 川崎サイト

 

順送りの椅子


「よく晴れましたなあ、今日はおかげで暖かい。日向ぼっこには丁度いい。しかし、かなり着込まんと無理ですがな」
 少し古い町内の辻に花壇があり、その余地に誰が置いたのか、椅子がある。岸本はそこでよく顔を合わす滝川と話している。滝川は引っ越して来た人だが、今はすっかり町内に馴染んでいる。
「しかし、ここはねえ岸本さん、順送りの椅子と言って、座っちゃだめなんだよな」
「そうなんですか」
 順送り。つまりあの世への町内での順番だ。ここに座った人ほど順番が早い。見送る側から、見送られる側になる。
「そういう滝川さんも座っておられるじゃないですか」
「いや、私は一瞬だ。散歩の途中なのでね」
 椅子は二つあるが形が違う。大型ゴミの日に出たものを、誰かがここに置いたのだろう。椅子がずれないように補強されている。これは近くに足場組みが得意な塗装屋の親方が固定したものだ。
「ここに座るとどうして順番が早くなるのかは、私が昔住んでいた町内で分かりますよ。子供の頃から見ていましたからね。自治会館横の公園のベンチでしたが、そこが順送りのベンチでしてねえ。あそこで座り出すと早い」と滝川。
「いや、外に出ているのは元気な人でしょ。お近い人は病院や家で寝たきりじゃないのですか」
「まあ、そうなんだが、印象ですよ」
「この椅子も順送りの椅子になりそうですか」
 椅子が置かれたのは一年前だ。
「さあ、危ないですなあ。なる可能性が大きい。半年前まで毎日座っていたお婆さん、最近姿を見ませんでしょ」
「ああ、見ませんねえ」
「私が思うのですがね。これは以前の町内での話ですが、座っているより、歩いている方がいいってことです」
「ほう」
「この椅子が目的地で、ここと家との往復じゃなく、ここはただの通過点で、もう少し歩かれた方が好ましい」
「ああ、運動した方がいいという話ですな」
「そうです。しかし運動するつもりで、歩いていて、疲れてしまい、ここに座ってしまう。しっかりと歩いているのにです。これは別のことで、弱っておられるのでしょうねえ。だから、お座りになる」
「はい」
 滝川は続ける。
「また、私の前の町内では、ベンチには誰もいないようでも、座っておられるので、その上に座っちゃいけないという話もあります」
「え、誰もいないのでしょ」
「だから、見えませんが、いるのです。その人が先に座っているのに、その膝の上に腰掛けるようなもので、これは下の人は重い。人間椅子の好きな人ならいいでしょうが。まあ、幽霊や生き霊が重さを感じるかどうかは知りませんがね。どちらにしても無礼な話です。先客がいるのに」
「ちょっと待って下さい」岸本は立ち上がり、椅子を見た。
「半年前まで座っていたお婆さんが、もしや」
「それは冗談ですが、まあ、順送りの列に並ばれない方がよろしいかと」
「はいはい」岸本は不愉快になったので、立ち去った。
 要するに滝川と岸本の椅子争いで、一方を追い出したことになる。
 椅子取り合戦に勝った滝川は、晴れて暖かい日は必ずそこに座っていたが、春先から姿が見えなくなった。
 順に送られたのかもしれない。
 
   了


 


2016年2月8日

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