小説 川崎サイト

 

亀裂


 日常の中にスーと亀裂が入ることがある。糸よりもさらに細く、蜘蛛の糸ほど。これは光線状態により見えないことがあるので、気にしなければ、その亀裂は見えない。
 これは始終起こっているのだが、見えないだけ。しかし、何かの光線具合でスーと見えることがある。
 日常の中の亀裂とは切れ目だろう。これが大きいと、糸よりも太く、毛糸よりも太く、紐よりも太くなる。さらに深さも加わり、文字通り亀裂、クレパスとなり、渡れなくなる。つまり日常生活が中断するか、そこに填まってしまうことだ。
 普段の日常の中で、平穏に過ごしているようでも、この亀裂は大なり小なりやってくる。それは外部からだけではなく、内部からも。これは内部が外部の何かを呼び込むこともあるので、内外からだろう。
 人にはバランス感覚があるので、その亀裂を見ても、覗き込まなかったり、無視したり、気にしなかったりする。これを気にし出すと、とんでもない妄想へと至るのだが、妄想ではなく、具体的に本当に起こるかもしれない事柄もあるため、どの程度、相手にするかだろう。
 上田は部屋に引き籠もったままなので、暇で仕方がない。それで、その亀裂を見てしまうようになり、そこに填まり込んでいった。
 上田の部屋を訪ねた親友が、畳の亀裂の中に上田を発見したわけではないが、何かに取り憑かれたように、怖い目をしている。目の形だけでは怖さは伝わらない。最初からそんな形の目をしている人もいるが、普段から上田と接している親友だけに、目の大きさが変わっているのが分かる。目が巨大化したわけではなく、サイズは同じだ。変わったと思うのは、いつになく上田は目を見開いているためだ。これ以上開いても、大きくならないが。
「何かあったのかい」
「いや、何も起こってはいないけど、存在の根本が怪しくなってきたんだ」
 また始まったなと親友は了解した。
「何が起こったの」
「起こる以前の土台が危ない」
「つまり、上田君が危ないの」
「そうなんだ。その存在が」
「だから何が起こったの」
「亀裂を見た」
「亀裂」
「亀の列じゃないよ」
「亀の甲羅のひび割れかい」
「そうじゃない。そんな冗談の暇はない」
「ずっと暇なんじゃないの」
「そうだけど、亀裂が入ったんだ」
「見たの?」
「そう、自分に亀裂が入ったのを見たんだ」
「地震で地面にひび割れのようなものが入った感じかい」
「それに近い。これは普段から入っていたようなんだが、気付かなかったんだ」
「抽象的だなあ。もっと具体的に」
「ああ、自分の存在が疑わしくなってきた。ここにこうしていることが疑わしいんだ」
「それが亀裂かい」
「そうだ、精神的にひびが入ってしまった。これは重症だ」
「じゃ、寝てなければ」
「うん、そうだ。動くとポロポロ壊れる」
 上田が、この手の話を始めるのは毎度のことなので、その親友は相手にならないで、そのまま帰ってしまった。
 以前は本気になって相手になったのだが、こちらまでおかしくなり出したからだ。これは上田の悪い癖で、上田自身は実は何ともないのだ。
 その手に乗るまいと、立ち去ったのは、賢明な判断だろう。
 一方上田は熱演したのに、失敗に終わったので、残念がった。それこそ亀裂が入ったかのように。
 
   了

 


2016年2月23日

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