小説 川崎サイト

 

陰気な楽しみ


 何事も陰気に物事を考える田村は、陽気な発想はないのかというと、そうでもない。陽は陽を呼び、陰は陰を呼ぶと言うが、そんなものでは世の中決まらない。陽気な人が一生明るいままで、陰気な人は一生暗いままということも有り得ない。現実は決まるようにして決まり、心がけ程度では何ともならない。ただ、どんなことが起こっても陽気に考える人は、気が楽かもしれない。だから、陽気な方が好ましいのだが、そんな陽気な人でも、一瞬暗い顔をする。陰気な人は、実はこれが嫌なのだ。つまり、最初から陰気な顔だと、陰気な顔を見せなくても、ずっとそんな顔なので、ここでの違和感がない。
 陰気な楽しみがあり、これは陰の中の陽だ。田村はそれを知っている。
 この田村、実は陽気な人だった。陽が勝っていた人だった。しかし、一瞬見せる暗い表情や、暗い発想がどうも気に入らない。陽を曇らせるためだ。それならいっそ曇りっぱなしの方が楽なのではないか、これが始まりだ。ただ、そんなことをある日、突然決めたわけではない。
 つまり田村は陽を隠している。これは陰を隠している陽の人より、好ましいと思ったからだろう。
 当然田村は人の先頭には立たない。人の影に入り込み、目立たないようしている。喫茶店に入ってもいつも片隅、最も目立たないところ。隅へ隅へと隅狙いを続けている。これはやり出すと楽しみになる。
「陰の楽しみですか、田村さん」
「そうです」
「どのような感じですかな」
「陰の中に笑いやユーモアが入っているのです」
「葬式で笑ってしまうようなものですか」
「そこまで露骨ではありません。沈み込んだ中での潤いや憩い、安堵感などがあります。落胆したときがそうでしょ。何か憑き物が落ちたように楽になる。本当は目的が果たせないでガッカリなんですが、妙に清々しい」
「それは田村さんの感覚で、一般性はありませんよ」
「そうなんですか。私は物事に躓いたり、失敗したとき、ほっとしますよ」
「なぜですか」
「だって、目的がなくなるでしょ。達成してしまえば、それにその先、また苦行が待っていたりします。次へ行くわけですから。ところが、果たせないで戻されると、下りになり、これは楽なんです。登った分、おつりとして支払って貰ったようにね。得をした気になります」
「田村さん」
「はい」
「その発想がいけないのです」
「そうなんですか。苦笑の楽しみもあるんですよ」
「苦しいわけでしょ」
「はい。しかし、長年それをやっていると、交わし方、こなし方がうまくなるのです。失敗しますと、今までどれだけ欲張ったことを考えていたのかと思うとぞっとしますよ。やっと普通になれたと」
「確かにそれはある種の真実があるかもしれませんが、それを前面に出すのは如何なものでしょう」
「そうなんです。だから、これは認めららない。また推奨できない発想です。だから、逆に居心地が良いのです」
「まあ、そういった暗い発想、健康状態にも悪いですから、ほどほどに」
「そうではありません。この暗さで夜中、思い出して、大笑いしたりします」
「何とも言えません」
「いえいえ、認められなかったので、良かったのです。この発想は駄目なままの方が」
「どうしてですか」
「ここで拒否された方が楽なためです」
「変わった考えですねえ」
「世の中思い通りには行きませんから、リアルでいいのですよ」
「僕が宗教家なら、お助けしたいところです」
「いえ、神仏に見放された方が楽だったりします」
 この田村という男、無理にそういう言い方をしているのだろう。
 
   了

 



2016年2月28日

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