小説 川崎サイト

 

雪女


「春だというのに、寒いですなあ」
「寒の戻りでしょ。これは真冬に近い」
「そうです。今朝は氷点下でしたし」
「こういう戻りは二三回あるんです。春の中頃まではね」
「真冬の服装で出てきてよかったです」
「まあ、出るとき寒いので、春服では出ないでしょ」
「家の中は暖かいので、出るまで気付かなかったりしますよ」
「ああ、なるほど、電気代高く付きますなあ」
「いえいえ」
 二人は喫茶店の窓際で、そんな話をしている。いつも話題はその域から出ない。社会情勢などを話し合うと揉めるからだ。
「あれは」
「ああ、あれは」
 窓の向こう側は通りで、その先は公園になっている。その通りを変わった人が歩いている。
「あれは雪女でしょう」
 和服の女性が確かに歩いている。偶然だが、粉雪が少し舞っている。この地方は滅多に雪など降らないが、意外と春の雪は降る。
「南限ですなあ」
「はあ」
「だから、雪女が出る南限は、この辺りまででしょう」
「寒の戻りで、勘が狂ったのでしょうかな」
「いや、寒いので、までいけると思い、出てきたのでしょ」
「このあたりに、そんな場所ありますか」
「場所」
「だから、雪女が出るような場所です」
「その公園の裏に、まだ農家が残っているでしょ」
「ありますなあ。結構古い。それに家も大きい」
「百姓家ですが、造り酒屋もやっているのです。出稼ぎで来ている人も多かったですよ」
「ほう」
「だから、そこへ行くのでしょう」
「酒を買いに」
「違いますよ。買って貰うのです」
「じゃ、今年が最後ですなあ。これが最後の寒の戻りだとすれば、もう雪も降らないし、雪女の出番もない」
「最後の営業でしょ」
「ご苦労なことで」
 雪女、別名雪女郎とも言う。
 
   了



2016年3月5日

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