小説 川崎サイト



喫茶の虫

川崎ゆきお



 喫茶店には虫がつく。悪い虫ではない。客として無視してよい虫だ。
 安藤は喫茶店回りを趣味にしている。彼自身もその虫だ。本の好きな人のことを「本の虫」と呼ぶ。それと同じで喫茶店の虫がいるのだ。店に棲息しているような感じで、空間に宿る虫だ。そこに住んでいるわけではないが、その店に付着しているように見える。
 安藤がそれに気付いたのは、他の虫を見てからだ。いつ行っても居る客がいる。時間を変えると居ないので出現時間帯があるのだろう。
 虫は一匹ではなく、各店には数匹いる。その種の虫が居ない店は荒れていると言ってもよい。喫茶の虫はかなりタフで、少々のことでは場を変えない。
 喫茶の虫は一人で動いている。そして殆ど口は利かない。しかし黙って座っているわけではない。新聞を読む、雑誌を読む。それでも足りなければ持ち込んだ本を読む。それが日課になっているのだ。
 喫茶の虫は食事はしない。例外としてモーニングサービスのトーストはかじるが、それが目的ではない。
 安藤はある日、別の町の喫茶店に入った。散歩で思わぬ遠出となり、縄張りを越えた町に入り込んだのだ。
 喫茶の虫は風景の中から喫茶店を見つけるのがうまい。どこにあるのか本能的に知っているのだ。
 その店は初めてで、駅前から少し離れた場末にあった。
 案の定、虫が居た。はっきり特定出来る客が二人いる。どちらも隅っこの席で新聞を読んでいる。虫達は新聞が好きなのではない。何かをしながら時間を過ごすための新聞や雑誌で、それが目的ではない。
 安藤はスポーツ新聞を探したが、既に読まれていた。漫画本が並んでいるが、手を出さない。中途半端な読み方になるためで、近所なら続きが読めるがここでは無理だ。
 仕方なく、一度目を通した雑誌を手にする。
 この店の虫二匹は、堂が入っているのか、ほとんど身動きせず、見事に気配を殺した息遣いだ。当然安藤を眺めるような真似はしない。人と係わることを避けているのだ。当然店の人と話しなどしない。従ってドラマも生まれない。感情を浪費させないのが虫の生き方なのだ。
 安藤はそれを見ながら、自分もまだまだだと反省した。
 店の人からも客からも無視された存在は、虫でないと分からない居心地のよさがある。
 安藤は静かに雑誌のページを食い出した。
 
   了
 
 


          2007年3月6日
 

 

 

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