小説 川崎サイト

 

身の程知ってる


 持田は身に余るものは持たない。だからいつも貧乏臭い格好をしているのだが、最近の衣料品は結構オシャレで、貧乏臭さを売り物にしているものはないだろう。むしろ上等そうなシンプルなデザインで、値段の安いタイプが貧乏臭い。これは見た目で、何となく分かる。一番分かりやすいのは、持田を知っている人が見れば分かる。
 決して持田は生活に困るほどの貧乏ではない。それなりに働いているので、それなりの給料は貰っている。職を何度も変えたため、年のわりには年収は低いが。
 生活が苦しくなるため、高い品物を買わないわけではない。車も持っている。軽ではなく、普通車だ。ただし中古だが。
 身に余り手に余るものとは、その能力がないのに、そんなものを持っていることだ。持田もいいものが欲しい。しかし、それをこなすだけの力がない。それにふさわしい実力がない。こういう場合、背伸びしてできるだけ良いのを使う方が将来を見越した投資にもなるが、持田には見通しがない。
 自分自身を振り返るタイプの人で、内省の人だ。毎晩反省大会をやっており、誰にも見せたことのない日記があるようだ。ここに事細やかに記録されているはずだ。
 そういう力もないのに、そういうものを持っていると誤解される。そして、できる人だと思われる。ところが持田は、それほどできない。ただ物事の輪郭はよく理解している。世の中にはどういうものがあるのかについては人一倍詳しい。しかし知っていることと、できることとは違う。できないが知っている。しかし、できる人だと思われて、結果的には恥をかく。見掛け倒しの人だったと思われる。これが嫌なのだ。そういうことが何度もあり、手に余るものは持たないし、自分のレベル以上のことはしなくなっている。
 これは少し神経質な面があるようで、気にしていることは非常に丁寧に配慮するが、気にならないことでは平気だ。
 あれほど神経質な人が、何でここはお留守になっているのかと、しばらく付き合ううちに分かってしまう。妙なところで抜けているのだ。神経の使い方が丁寧なのか、粗っぽいのかよく分からない。それで変な人として扱われている。実はこれが正解で、早くそう思って欲しいようだ。早く自分の正体、実態を知って貰った方が楽なのだ。
 持田はハッタリを使わないが、もの凄くできる人のように思われる。それは顔立ちや仕草が達人のように見えるし、言葉の使い方も丁寧で、また教養もありそうなためだ。しかし中身はそれほど詰まっていない。皮一枚だ。
 さて、その反省日記、内省記だが、一番多く書かれているフレーズは、身の程知らずではなく、身の程知ってる人であれ、だろうか。
 
   了
 

 



2016年3月17日

小説 川崎サイト