小説 川崎サイト

 

自然な動き


 自然な動きとは、流れだろう。そういううふうに流される。または流れて行く。川の水ならそれが自然な流れ、自然の流れとして分かりやすい。
 自然な動きとは、あまり躊躇せず、すんなりと進めることだろう。これは悪しきことでも善いことでも。そのため自然な流れ、これを動きと考えれば、良いも悪いもない。単純に言えば癖や習慣、性癖のようなものかもしれないが、結構意識的なセンスも関わってくる。
 しかし、この流れ、旬がある。流れに乗っているときと、そうでないときや、他のこととも関係するため、タイミングもあり、常に自然な動きをしているわけではない。何等かの抵抗体があれば、堰ができているようなもので、流れは止まってしまう。
 スポーツなどで、リーグ戦のように短期間の間に何試合もある場合、初戦が大事とされている。ここで勝つとその後の流れが良い。実際最初の躓きが後遺症になり、力を発揮できないまま敗退することもある。
 人の行為は決して自然界のような自然さはないが、いつの間にか乗ってしまう流れがある。流れているということでは同じ。それを押し出している源流や高低差は幻想かもしれないが、意識の流れというのは確かにある。この流れに乗ると、乗らなかった場合よりもすんなり事を運べたりする。これを自然な動きと言っているが、自然には善意も悪意もない。
 流れがいいと調子に乗る。お調子者のことではなく、調子が良いので、どんどん進めるのだ。しかし、調子の良い人とはあまりよい意味では使わなかったりする。絶好調なのはいいが、いつまでも続かないと思われる。しかし、調子に乗っているときは、調子が続くまで乗り続ければいいのだろう。
 しかし、高い調子ばかりではなく、静かな流れもあり、これもまた自然だ。有名な音楽で、源流から海までの川の流れを曲にしたものがある。高低差が少ないと、流れも静かになるし、川幅が広いと、湖のように静かになる。
 自然な動きとは、何かの押し出しで決まるのだろうか。
 個人が持っている、この流れは、本人にしか分からない。非常に不自然に見え、常識から離れているように見えても、本人にとってはごく自然な動きなのだろう。
 
   了

 


2016年3月18日

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