小説 川崎サイト

 

天の啓示の正体


 竹村は「来たな」と感じた。感じるかどうかは本人の勝手で、個人の判断に委ねられる。国際的な事案を決めるような大層な話ではないが、似たようなものだろう。ただ竹村の事案は個人的なものだ。しかし多少は複数の人間に関わるため、それなりに責任がある。まあ、それは責任を取れば済む話だが、きっと上手く行くと思っている。そうでないと決断できない。
 ところがその決断に対して「来たな」という現象が起こった。この現象はジンクスで、竹村だけが分かる情報だ。例えば雨や風が強く、出鼻をくじくとか。これは進めないわけではないので、ただそのお知らせだ。天気を知らせてくれるわけではなく、その行為に対しての天からのメッセージ、警告だ。これは何度も知らせてくれる。雨でなくても留め男のように、バタリと人と出合い、その日は目的地へ行けなくなったとかだ。この留め男を無視して行けば、進めないわけではない。お知らせとはその程度のもので、物理的に進むのを止めているわけではないが、偶然鉄道事故が起こり、しばらく電車が止まることもある。これも半日も止まるわけではなく、数時間以内に復旧することが多い。また、タクシーを使えば行ける話だ。
 今回は二度三度と、そのお知らせが重なったので、これは余程やってはいけない流れなのだと竹村は受け取った。さすがに四番目は来なかった。仏の顔と同じで三度までらしい。三回続けば気が付く。今回竹村は一回目で気付いた。天が流れを変えようと、前方に何かを置いたのだ。最初は雨だった。
 二回目も物理的な現象で、雨と似ている。そして三度目は故郷の夢を見た。懐かしい時代に戻り、家族や幼馴染みと花見の宴。目が覚めたとき、じーんとくるものがあった。これが警告の夢であることはすぐに分かったが、この分かり方は、少し強引だ。
 つまり、平穏な暮らしぶりはいらないのか、という警告だ。これは警察での取り調べで、お母さんの話とか、故郷の話を合間に入れるようなもの。
 しかし度重なる警告を無視し、竹村は強行突破した。結果的には散々な目に遭った。しかし、この行為により、展望が開けた。新たな平原に出ることができたのだ。新天地がそこに拡がっていた。
 ではこの流れを何度も止めようとした天からのメッセージは何だったのか。それは最後に見た故郷の夢にヒントがある。それは平穏ということだろう。この天の神は平穏な神で、冒険家ではない。
 つまり、竹村にとっての村であり、その村を大事にする神様なのだ。警告が出るのはそういう行為に出ようとしたときだろう。当然これは竹村の心の中から発生していることだ。
 しかし、そういう日に限って雨が降ったり、別の日では鉄道事故が起こったりする。これは心の中での話とは少し違う。個人の気持ちだけの話ではなく。
 雨や鉄道事故は結構起こっているが、それほど気にしていない。これはやはり外部だけで起こっていることだろう。それを内部と結びつけるバイパスがあり、これを天の神と呼んでいるのだろうか。
 結局竹村は今までの殻というか、平和な安全地帯に暮らすだけの発想では何ともならないため、それを突破し、新たな世界に飛び込めた。これはずっと願っていたことでもあるのだ。
 また、何も得られずに終わっても、より現実的な方針が固まるだろう。
 
   了




2016年3月22日

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