小説 川崎サイト

 

桜が咲く前に


 蔵本が鳥を撮していると二回りは上の老人が声を掛けてきた。
「いいのが写せましたか」
 蔵本はずっとファインダーを覗き込み、鳥の動きに集中していたので、真横に来ている老人に気付かなかった。実際は少し後ろで、ファインダーから目を離しても、視界に入らなかった。
「この距離でも逃げないので、慣れていますよ」
 そこはショッピングセンターの庭のような場所で、バイク置き場。その後ろ側の梅の木に鳥が来ている。毎日来ているためか、そこが安全であることが分かっているらしい。柵があるし、客は通れない。草もなく、苔の絨毯だ。その手入れなど、滅多にしないだろう。梅と椿が植えられている。
「いいカメラをお持ちで」
 これで蔵本は、この老人はカメラには詳しくない人だと分かった。一眼レフに似ているが、ネオ一眼というコンパクトカメラの大きなものだ。知っている人なら、すぐに分かるはず。しかし、持ち物を褒めるのは、この老人の挨拶かもしれない。
「梅は終わりましたが、次は桜ですなあ。二三日先でしょ」
「そうですねえ、もう蕾が大きくなってますから」
 老人は、そこで区切りを入れた。つまり、それ以上会話を続けるかどうか、相手の息を読みながら見極めるのだろうか。強引に会話に持ち込まない人かもしれない。
 蔵本はそのままスーと自転車置き場まで走り出した。後ろを振り返ると、老人はまだ梅を見ている。鳥はもう去ったようだ。
 蔵本は自転車を降り、ショッピングビルの玄関に向かうとき、もう一度老人を見る。すると、梅の木から移動したようで、橋の上から桜をじっと見ている。花などまだ咲いていないが、蕾の膨らみ具合を見ているのだろう。これが少しだけ赤い。そのため、冬枯れの桜の木なのだが、ほんのりと暖色を帯びる。僅かな赤みでも、集まれば木に暖かみが加わるのだろう。老人が言っていたように、あと二三日で咲き出すはず。
 蔵本は鳥や花などを写すのが趣味だが、さっと写し、さっと立ち去る。しかし、あの老人は時間を掛けて、じっくりと鑑賞している。
 年を取ってからは花鳥風月が分かるようになるらしいが、花と鳥は分かりやすい。この老人、その境地に立ったのか、あるいは特に趣味はなくても、散歩に出れば、花を見たり、川の流れを見たり、そんなものかもしれない。これは時の経過を感じているようなもので、年中同じではない。それこそ二日か三日後、桜のある場所を歩けば、景観は一変しているはず。
 その老人、鳥を見、梅を見、椿を見、そして桜の蕾を見ているのだが、それだけではないだろう。
 こういう老人、迂闊に写真で写してはだめだ。なぜなら、写っていないかもしれないので。
 
   了




2016年3月27日

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