小説 川崎サイト

 

手と命取り


「先日から手が痛くてねえ」
「ほう、手が」
「小指と薬指の付け根あたりなので、特に困らないけど、私のように手先仕事をする者にとっては、気になるところですよ。大した影響はありませんがね。もっと痛いときでも仕事はやっていました」
「はい」
「これは原因がはっきりしているんです」
「ほう」
「傘です」
「傘が原因」
「傘でやられました」
「はい」
「そのときは気付かなかった」
「傘で何かされたのですか。傘で襲われたとき、手でカバーし、痛めたとか」
「それに近いですが、敵は雨と風。実際には突風ですよ」
「ああ、傘が煽られたので、ぐっと強く握ったとか」
「ご名答」
「当たりましたか」
「実は人差し指を痛めていたのですよ。あまりしっかりと握れない。これは仕事のやり過ぎじゃありません。プロとしては力を入れすぎてはいけないのですがね。力みすぎたので、痛めたと思われるのは誤解だ。実はそうではなく、仕事ではなく、傘と同じで、別のことで人差し指を痛めたのですよ。それが長引きましたねえ。それで」
「まだ、続きますか」
「なぜ小指と薬指、そして中指の付け根あたりが痛くなったかといいますと、傘が飛ばないように力を込めたのですが、人差し指は痛いので、傘に軽く当てているだけ、普段でもそうです。人差し指がやることは中指がやってます。傘もそうです。力を込めたとき、中指でも足りなく、薬指、小指まで力んだ。これがいけなかったのでしょうなあ。そのときは気付かなかった。痛いと感じたのは翌日」
「今も痛いのですか」
「最初気付いたのは、寝るとき、掛け布団を引っ張ろうとしたとき、痛みが出た。激痛ではなく、軽く抵抗がある。捻挫をしたときの痛みに近い」
「はい、それだけの話ですね。それで今は」
「捻挫と同じで、しばらくすれば治った」
「それはよかったですねえ」
「そのとき思ったねえ」
「何をですか」
「最初は軽い痛み、こんなもの捻挫と同じで、すぐに治ると思っているが、それがなかなか治らない。これが伸びる」
「え、何が伸びるのですか」
「これが序章でねえ、始まり。本編はこのあと何年も続く。そういう痛みである可能性もあった」
「そうなんですか」
「だって、今までそんなことはなかったからね。その程度のことで、手が痛くなるようなことは。これはまあ、年だろうねえ」
「そうでしょ」
「しかし、傘を変えたんだ。持つところが細いタイプにね。その前の傘は木製の太いやつで、もしあれならもっとうまく握れた。だから、ひねるようなことはなかっただろう」
「はい」
「まあ、それはいい。心配なのは手だ」
「でも、もう治ったのでしょ」
「そうだが、痛いときに、その手のことをずっと考えていた。これがもし悪化すれば、それこそ仕事ができなくなる。だから、自転車などに乗っているときも、ハンドルを握るとき、その手をかばった」
「痛いからですか」
「いや、ひねったり、回転させたりしなければ痛くない」
「はい」
「頭の中はその心配事で一杯。手のことしか考えないで、自転車に乗っていた」
「はい」
「歩道にバス停があってねえ。そこで客が待っている。当然自転車が近付けば避けてくれるが、気付かないようなので、思わず車道に出てしまった」
「よくあることですよ」
「車道に出た瞬間長い長いトラックが追い抜いていった。しかもぎりぎり、ハンドルを少しでも右に切れば、接触する。これは私が車道に出たのがいきなりだったので、飛び出したことになる。トラックなので、それ以上中央よりに寄れないんだろうねえ。ぎりぎりだ」
「はい」
「下手をすれば、かばっていた右手が持って行かれるどころか、身体ごと持って行かれただろうねえ。右手をかばっている場合じゃない。もう何もかばうものがなくなることになりかねなかったねえ」
「危ないですねえ」
「手が悪化し、仕事ができなくなる恐れ、そういう心配事とはまったく別に、突然、いきなり、大本命の命取りが来る。これが私の得た結論だ」
「はあ」
「何か分かったような分からないような」
「人の運命など、分からん」
「はい」
 
   了


 


2016年4月19日

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