小説 川崎サイト

 

流れ


 流れというのは今感じていることだが、その今の流れというのは結構未来を見据えている。流れには気が付いたときに乗っている。その流れに乗ろうとして乗ったのではなく、いつの間にか乗っている。昨日今日の出来事が流れを変えたのだろう。自分で変えたわけではない。これは自分から発したものなら、自分が変えたことになるが、これは過去の流れから来ていたのだろう。
 流れが変わると、今まで普通にやれていたことがやれなくなる。まったくできなくなる場合もあるし、何となく熱意がなくなり、接し方が違ってきたりする。これはそう思ってやっていることではなく、流れによる押し出しだ。
 これは今やっていることが、この先役立つとか、また、将来のことを考えれば、今の流れになるとか、そんな感じで、漠然としている。この流れは現実的で、予測される未来を念頭に置いたものだろう。ただ、それは夢と希望に満ちた未来とは限らず、もっと現実的な妥協点かもしれない。
 それが決まるのは、過去の流れからで、おおよその察しが付く。
 例えば大金が舞い込み、当分左うちわになることが分かった瞬間、貧乏臭いことはしなくなるし、倹約を緩むし、行く場所も変わるし、先々の計画も変わる。いつもの流れではなくなる。
 ただ、昨日と同じ様なことは、今日もするだろうが、大金が入ってくることを知っていると、財布も緩むし、儲からないような仕事なら、熱が入らないだろう。大金が入ることが分かっている前なら、小さな仕事でも大事にやっていたかもしれない。
 また、大きな病があることが分かったときなども、流れが変わる。
 そういったはっきりとした原因が分からないときでも、日々の流れがある。これは毎日続けているうちに、ある日レベルアップでもするのか、または劣化するのか、変化が生じる。これは蓄積もので、貯金が貯まり、満期になるようなものだ。
 増えるものもあれば、減るものもある。いつものハイキング道がしんどくなり、短い目のコースにしたり、靴も軽いものに変えたりする。これも特に何かを仕掛けてそうなったのではなく、いつの間にかそうなっていたものだ。
 流れが変わるとき、人は落ち着きを失ったりする。大変なショックを受けるとかではなくても、何となく気が進まなかったり、熱意が薄らいだりする。
 流れは将来のある地点を仮想的に見ているのかもしれない。そこが終着点ではないが、予定地が変わったりしたことが分かるのだろう。
 将来のために今があるわけではないが、今の流れから推測した将来がある。しかし、それは予想されたもので、決まっているわけではない。そのため、日々未来が変わったりする。予測が今の状況で変わるのだ。
 そして進路が変化したと思っていても、また戻って来たりする。流れというのは分かっているようで分かっていない。見えているようで見えていない。日々変わることもあるし、またそんな流れなど意識していないこともある。
 また、予測通りの流れの到達点に来たとしても、思っていたようなところではなかったりする。当然その逆もある。悪い場所ではなく、結構よかったりする。
 人は結構色々な流れに揉まれながら、ブレ倒しているように思えるが、ただそれは外からは見えなかったりする。
 
   了




2016年4月22日

小説 川崎サイト