小説 川崎サイト

 

ある予兆


 佐久間は人の動きが活発になったことを感じた。これは感じなくてもスケジュールに加わるため、会う人が多くなったことで分かる。それとは別の感じがある。何かが稼働しているのだと。
 それらの人達は横への繋がりはない。用件も全く違う。その中には久しぶりに出合う旧友もいる。また初めて会う人もいる。その数が普段よりも多いのだ。まるで何かが蠢いているように。
 ある共通のことでそれらの人達と会うのではない。だから偶然会う人が多くなっただけのことだが、実は底で繋がっていたりする。その底とは佐久間の中だ。
 これは活動期に入っているのだろう。ここ数年、人の出入りは少なく、静かだった。それが活発になった。佐久間が仕掛けたり、呼んだりしたものではない。
 これは佐久間の中で何かが起こっているのだ。しかしその実感はない。昨日と似たような今日だし、特に企てはない。実に静かなものだ。しかし何かが起こり始めていることを知らないだけかもしれない。気付いていないのだ。
 では何が起ころうとしているのだろう。
 佐久間は会うことが決まっている人達を分析したが、何も出てこない。実際に何人かと会ったが、目新しい用件ではなく、これといった変化もない。
 やはりこれは会う人が偶然集中して重なっただけのことかもしれないが、それだけではないような気がして仕方がない。それらの人々は後で考えると、伏線だったりする。何等かの役割があったのだ。ある一つのことに関して。
 佐久間は再び分析するが、やはりそれらの人々を有機的に結びつける線がない。
 それらの人達と頻繁に会うようになってから佐久間は変化を感じた。中身ではなく、外だ。
 それは髭を丁寧に剃るようになったり、着るものを少し洒落たものにしたり、新しい帽子や靴、鞄などを変えてみたりした。これはベタベタの変化だ。
 そして、人と会う頻度が増えたためか、雄弁になり、エンジンがかかりだした。ただの空ぶかしではなく、何か新たにやりたい気になってきたのだ。それらは会った人達の影響でも何でもない。他の人を見て刺激を受けたわけでもない。
 佐久間が予測していたように活動期に入り、その後、忙しく立ち回るようになった。
 やはり人の動きが慌ただしくなったとき、そのあと何等かの変化があることを佐久間は確信した。因果関係はないが、何かの予兆なのだ。
 
   了

 
 


2016年4月24日

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