小説 川崎サイト

 

山爺


 妖怪博士が何気なく立ち寄った山際の村の話だが、この「何気なく」がそもそもおかしい。妖怪博士はそういう直感力はなく、何かに誘われてとか、何かの気配を感じて、などはない。
 山際の村、それは何処にでもある。しかし、市街地の外れの下町に住む妖怪博士が、わざわざ郊外まで出掛け、その村に立ち寄ったわけではなく、当然用事があった。
 それは小さなイベントで、幼稚園から呼ばれ、妖怪イベントに参加した。結局園児達が妖怪ダンスをしただけで終わった。妖怪博士はゲストなので、何等かの妖怪談を語るつもりだったが、園児達は聞く耳を持たない。早く妖怪踊りで身体を動かしたいため、むずむずしているのが分かるので、短い目の落語の小咄のようなものでお茶を濁した。
 山際の村、それはその帰路、バスで途中下車して立ち寄った。これは燃焼不足のためだ。このまま戻ったのではただの前座の落語家だ。
 それで、少しはフィールドワークをするつもりで、村に寄った。
 村といっても、都心部からも近い郊外なので、開けている。しかし古い家や神社などが結構残っており、ここだけはまだ昔を偲ぶものがあり、妖怪がいた時代の農村部の匂いもする。これは直感ではなく、そう思えば、そう感じるだろう。屋根屋なら屋根ばかり見るように、妖怪研究家は妖怪ばかり見ているようなもの。屋根と違い、形はないが。
 ただ手掛かりはある。それは石塔や石饅頭や石仏だ。
 それらは田圃を潰したとき、畦道や拡張前の村道脇にあったのだろう。それを一箇所に集めた場所がある。これは村の神社やお寺ではなく、お稲荷さんの祠横に並べられていた。
 そのお稲荷さん、小さな祠があるだけだが世話人がいる。これは寺や村の神社とは違う人だ。
 妖怪博士はその世話人宅で、妖怪はいないかと単純に聞いた。調べるより、聞いた方が早い。
 何代目かの世話人は結構若い人で、酒屋の主人だ。質屋もやっていたが、それは辞めたらしいが、大きな倉がある。
 世話人は淡々と語り出した。妖怪博士の勘が当たっていたのかもしれないが、この人に辿り着いたのは幸いだった。若いが、その種の話が好きなようだ。
 それによると、ヤマジジという妖怪らしい。これはありそうな妖怪で、山親父とか、山姥系だろう。
 お稲荷山横の石饅頭の中に山爺と言われている石塔があり、その名を知っているのは、ほとんどいない。世話人も親父や爺さんから聞いただけ。
 話はかなり厳しい。撲殺のようだ。つまり山賊の頭領を村人達が撲殺した。その死骸は山に捨てたが、村に殺気が残ったため、石塔を建てた。
 これは村の秘密で、外部には一切知られていない。そして、年月を経るうちに山爺という妖怪になっている。山賊がいつに間にか妖怪になっているのだ。
 これは子供達を脅すためのもので、悪いことをするとヤマジジが来るぞ、というパターンだ。当然忌まわしい事件をすり替えられる。
 その山爺も忘れ去られ、今は石塔だけが残っている。
 あの幼稚園、妖怪博士など呼ばなくても、この近くに妖怪がいたのだ。当然、それは語れない話だろうが。
 
   了


2016年4月28日

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