小説 川崎サイト

 

心境の変化


 最近の一寸した心境の変化が、全ての行為において、それが現れたりする。物事に対しての捉え方や接し方が違ってきたためだろう。また、一見して同じような動きに見えるのだが、心がけが変わる。
 しかし心境の変化があっても、あまり変わらないものがある。箸だ。箸の上げ下げ。これは流石に心境の変化程度ではそのいちいちにまでには及ばないらしい。ただ、箸に関しての心境の変化があれば別だ。箸について色々考え、そして箸に対しての認識が変わったとき、これは小さな心境の変化。
 だから全てにおいて心境が変わるほどのグローバルな何かでないと、ローカルにまでは及ばないかもしれない。当然ローカルなことが全体を征してしまうこともあるが。ある程度範囲がある。
 箸の使い方、箸の形、箸の長さに拘り、この箸こそが求めていた箸だ、というようなことをやっている人はほぼいないだろう。割り箸で適当に食べている人もいるが、それが竹箸では滑るので、あまり使いたくないと感じる程度。これは心境の変化とはほど遠い。また、箸など買ったことがなく、弁当などについている箸やコンビニでもらう箸を使い回している程度では、箸に対する拘りも生まれない。使いやすいか使いにくい程度の感覚はあるが、箸がメインなのではなく、箸で何をほじくったり、突き刺したり、挟むかだろう。むしろ箸の先にあるものの方が大事で、それが魚だったり肉だったりする。カレーなどになると、箸の出番はない。スプーンだ。
 さらに箸の先にあるものとして健康に気を遣った食べ物とかもある。この場合、健康がテーマなら、食べ物以外にも波及する。だから体調の変化が心境の変化になったのかもしれない。何を食べても平気で、支障がなければ、身体に良い食べ物など敢えて探す必要はない。
 しかし心境の変化は対人関係や、世の中との絡みなどで起こることが多いだろう。自家発電的に変化する人もいるが。
 仕事場などでは仕事ぶりが変わった、などの方が大きい。特に仕事や対人は世の中と対峙する最前線のためだ。ここは敏感だろう。下手をすると贅沢なものが食べられないし、それこそ箸も使えなくなる。
 さて、心境の変化だが、これは全部が変わるほどの変化は、ものすごい状況になってしまわなければ起こらないかもしれない。根こそぎの変化だ。
 普通に暮らしている場合の心境の変化は、何かについての変化で、全部が全部、その心境に塗り替えられるわけではなさそうだ。
 どんなに心境が変化し、別人のような振る舞い方になっても、箸の使い方は相変わらずだったり、食べるときの口の動かし方なども、同じだったりする。心境の変化はそこまで及んでいないのだ。しかし、心境の変化で食欲が落ち、口の動きがゆっくりになるだろうが。
 別の面からいえば、気にしていないことは、ないに等しい。気にして初めて、それに気付いたりする。しかし歩き方、足の出し方などを注目し出すと、歩けなくなる。
 また、人は猿ではないが、猿真似がうまい。だから、心境が変化したような芝居も打てる。
 心境は仙境のようなもので、何処にあるのか分からない。
 
   了



2016年4月30日

小説 川崎サイト