小説 川崎サイト

 

鉄瓶と薬草


「茶瓶」
「はい」
「茶瓶を売りに来たと」
「はい、クルマで南部から」
「駐車禁止でしょ、この辺りの通り」
「はい」
「何処に止めたの」
「バス停の近くに、一寸スペースがありまして」
「あそこに止めちゃだめだよ。近所の人の親戚などが車で遊びに来たとき、暗黙的に止めても良いことになっているがね、それは顔見知りだけだ。余所者のセールスのクルマは御法度」
「御法度」
「御法度破り、慣習破りだ。もっともこの辺り全部駐禁だから法的にね」
「茶瓶なんですが」
「それだよ、それ、茶瓶の押し売りなんて聞いたことがない」
「良い茶瓶です。南部です」
「鉄か」
「はい」
「確かに私は茶瓶を持っておらん」
「それは何より」
「茶瓶と薬缶の違いは分かるかね」
「茶瓶はお茶を飲むとき、薬缶は薬草を煎じるとき」
「じゃ、君の持ってきたのは茶瓶か」
「そうです。しかし、薬草を長い時間煎じることもできますよ」
「鉄瓶は重い」
「茶瓶がないのに、どうやって湯を沸かすのですか」
「ああ、小さいアルミ鍋だよ。お茶を飲むぐらいなら、これで十分、浅鍋はすぐに湧く。電気湯沸かしは故障するし、あれは押すのに力がかかる。しかし、小さいのは良いねえ。保温はできないけど、あれでもいいんだけで、アルミナ鍋が一番だよ。安くて薄いのが早い。この鍋はそれ以外に使わない」
「鉄鍋はミネラルが出て、身体に良いのです。アルミはだめですよ。あれは」
「しかし、茶瓶売りとは珍しいねえ。茶碗売りも珍しいが」
「お安くしておきます。産地直売です」
「基本的にねえ、君、おかしいよ」
「え」
「茶瓶を売って歩く、それも訪問販売、聞いたことがない。何かマジナイでもあるの」
「良く気付かれました」
「やはりねえ。ミネラル以外に、何か良いことがあるの」
「私どもの茶瓶は分服茶釜と言いまして」
「狸が化けるやつか」
「そうです。で、いくらだ」
「無料です」
「え」
「差し上げます」
「それなら、一つもらおうか」
「薬草の景品です」
「ああ、そう言うことか、じゃ、茶瓶屋でも薬缶屋でもなく薬の押し売りか」
「はい、万能薬です」
「じゃ、最初からそう言えばいい。それで、とんでもない値段だろ。その薬草」
「健康が大事」
「大事でも、高いと買えないだろ」
「では、サンプルを置いていきます」
「ほう」
「それで、効能が分かります」
「で、茶瓶は」
「茶瓶はお薬を買われたお客様だけが、無料です。景品です。というより、薬草に付属しています」
「サンプルには付属せんのかね」
「はい、残念ながら」
「まあ、いいけど、それは無理だろ」
「え」
「それを初めてどれぐらいになる」
「この町内が初めてです」
「それで、そのサンプルの詳細は」
「詳細」
「成分だよ」
「それは極秘です」
「失敗するよ。そのセールス」
「いえ、実際に買われたお客様もいます」
「誰だ」
「沢山さんです」
「あれば、ボケとるんだ」
「いえ、しっかりされてます」
「どちらにしても、そんな得体の知れん薬草など飲めん、いらないよ。それに漢方アレルギーがあるから、私は無理だ。漢方薬を飲むと胸が悪くなって、吐き出す。だから、無理無理」
「そうですか」
「私が欲しいのは南部鉄の茶瓶だ。それなら買ってもいいよ」
「そうなんですか」
「最初から茶瓶だけを売り歩いた方がいいよ。しかし、南部じゃないだろ」
「え」
「だから、偽物の、ただの鉄だろ」
「ああ、はい」
「それでもいいから、買うよ。いくらだ」
「しかし、アルミ鍋があるのでしょ」
「いや、偽南部は急須として使う」
「じゃ、クルマから取ってきます」
「よし」
 その後、男は現れなかった。本当にクルマで来たセールスだったのかどうかも疑わしい。
 
   了




2016年5月15日

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