小説 川崎サイト

 

今は昔


 昔話は「今は昔……」で始まる場合が多い。そういう書き出しだ。今のことではなく、昔の話だとの断り。まあ、話というのはいずれも過去のことだが、未来の話もある。ただ、昔話で書かれている未来は「その後、幸せに暮らしました」程度の長さで、何百年も先の未来ではない。もしそうなら素晴らしい読み物になるだろう。西暦千年、平安時代だ。その頃千年先の話を物語にしておれば、これはものすごい検証材料になる。まあ、人の感情などはそれほど変わっていないだろう。そうでないと源氏物語が名作にならない。同じ様なことを今の人もやっているためだろう。
 さて、今は昔だが、今が昔に移動している。それでは本当の今は何処かというと、それを読んでいるときだろう。実際には今の話ではなく、昔の話ですよという断りだけで、この今ではない過去、しかもかなり昔の話程度の使い方。
 決して今のことを話していないと。
 読んでいるときは、その今にワープし、そこがカレントになる。くどく言えば現今、これは使わないが、目下は使う。目下は、目の前でもいい。これは音でも匂いでもいいが、目の方が範囲が広い。遠くの物音や匂いは分からないが、目なら分かる。
 さて、今は昔と、簡単に今が昔へと移動するのだが、それを読んでいる今と、今は昔の今が重なる。これは本だけがそこにあり、その本の中に今は昔の物語が書かれていれば、今は昔の世界だけが存在する。読んでこそ今が二つできてしまうのだが、読んでいる側の今は次々に流れるのだが、その分、今は昔の物語も、その分流れて行く。早く読める人は、今は昔の今の時の流れも早いだろうが、だらだらと説明ばかりの物語では、あまり時間は経過していない。
 昔の今は数十年程度の昔のこともあるし、神代の時代ほど古くて、年代が分からないこともある。それ以前に、そんなことなど現実には起こらなかったこともある。竹取の翁の竹取物語や桃太郎。これはいくら昔でも無理だろう。この今は、何処だろう。時代ではなく、違う世界、異世界だ。
 竹を切ればかぐや姫が出てくるのなら、かぐや姫だらけ。川は桃太郎だらけにになる。
 だから、今は昔で始まる話は「嘘ですよ」ということだろう。しかし、昔のことはよく分からない。そんなことがあったかもしれない。
 同じ今でも、家に帰ったとき、「只今」という。もの凄い言い方だ。
「ただいま戻りました」
「たった今、戻りました」
 しかし、これは少し前に戻ったことになる。家の敷地に入った瞬間が戻ったときだ。しかし、多くは家の中で家族と顔を合わせたとき、只今と発すのだろう。だから少し間がある。
 余談だが「帰り道、大丈夫だったかい」「はい大丈夫」。これが女性でも、大丈夫になる。私は非常に立派で堅固な男ですと、直訳的な言い方だ。女性がいう場合、大丈婦だろうか。
 しかし、今戻りましたを省略して、単に「ただいま」といっている。
 さて、今は昔、これを今の人が、過去の思いを誰かに語るときと同じで、お伽噺が多い。
 
   了




2016年5月16日

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