小説 川崎サイト



倍速の赤い客

川崎ゆきお



 酔っ払いがファストフード店に入って来た。飲み屋の雰囲気は当然ながらこの店にはないが、赤ら顔で首までの赤さが、それを持ち込んでいる。
 既に二人の客が赤い。飲み屋での会話を続けているのだろう。赤くなければ普通の客だ。
 二人と入れ替わるように、その酔っ払いがレジカウンターへ向かった。酔っていても普通の喫茶店ではないことを知っている。コーヒーを注文し、代金を払っている。
 その間に二人客が立ち上がり、出て行った。
 注文を終えたその男は、何かを語りながら席に着いた。注文品の番号札と灰皿をテーブルの上に置く。手元が不安定なのか、ガツンとガラスの灰皿が音を響かせる。
 番号札も寝かせてしまった。
「だから……」
 と、呟く。
 何が、だからなのだろう。飲み屋での出来事を思い出しているのか、悩み事でも思い出しているのか、そして誰に言っているのだろうか。
 これは言葉の発散だろ。発声で現実化する。言霊とまでは言わないが、言葉を発することで何かが現実に作用する感じだ。
 店員が恐る恐るコーヒーを乗せたトレイをテーブルに置く。
「もしもだ……」
 店員は、すぐに立ち去る。
 男の動きは素早い。いつもの倍速の動作で、足を組み直したり、コーヒーカップに手を伸ばす。
「それだから……」
 横のテーブルのカップルは、自分達の話で夢中のようで、酔っ払いの独り言には反応しない。聞こえていないのかもしれない。
 男は酔っても逃避出来ないようで、逆噴射状態だ。ますます憤怒を高める。
「結局は……」
 男の言霊は、まだ喉から出てこない。飲み込んでいる。どんな中身を頭の中で回転させているのだろう。どんな思いを描き続けているのだろう。
「しかし、俺は……」
 男はコーヒーをまだ飲んでいない。単なる入場料のようなものかもしれない。灰皿に灰がたまることもない。
 足と腕を何度も倍速で組み直す。苛立ちは酒を飲んでも消えないようだ。
 男は五分と座らず立ち上がる。
 ブレザーの端が灰皿を撫でる。
 ガチャンとガラスが落下し、割れる。
 男は棒立ちで割れた灰皿の破片を見る。
「あああ」
 カップルが床を見る。
「どうする。ああ、まあいいか」
 店員は駆けつけない。
 男は四倍速で店を出た。
 
   了
 
 


          2007年3月13日
 

 

 

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