小説 川崎サイト

 

老いた農夫


 夏場になると出てくる妖怪がいる。当然そんなものが闊歩するような場所ではない。住宅地だ。場所が良ければ妖怪が出るわけでもないが。
 下田が見た妖怪は、当然人間だ。身元もはっきりしている。しかし妖怪何々と名付けるほどのセンスはないようで、単に妖怪と呼んでいる。呼んでも、それを聞く人はいない。個人的に認識している妖怪。下田はその他の妖怪も知っているが、最近はこの夏になると出る妖怪だけに限られている。
 夏に出る。それは下田が夏にならないと、そこへ行かない。家から半キロも離れていない。そして、滅多にそこは通らない。
 妖怪は道沿いに出る。少しだけ農地が残っており、そこに出る。広い道だが、両側に歩道がある。下田は夏になると、そこを散歩する。時間は決まって夕食後。これは寒いときは出ないので、暖かくなってから。
 しかし春ではまだ日が短く暗いので、実際に出るのは夏になる。そして、妖怪も夏に出るのだが、真冬でも出ているのだろう。
 くの字に腰の曲がった老人が野良に出ている。大きな農家が道の前にあり、そこを横断して、田圃に出る。だから、身元ははっきりしている。
 野良仕事は日が暮れれば暗いので、帰るはずだが、車道や歩道の水銀灯が明るく、ナイターのように田畑を照らしている。それに近くのマンションからの明かりもあり、結構明るい。それで暗くなってからも、この老人がいる。
 夏は日が長いのだが、日があるうちはまだ暑いので、下田の散歩もずれてきている。夕食ではなく、晩ご飯後になっている。涼しくなってから食べるためだ。少し暗いが暑いよりもいい。 その田圃の前を通るとき、何か人がいる気配というか、かさこそと音がする。しかし人の姿はない。実際にはあるのだが、それを人だとは認識できなかったのだろう。しかし音の方角は分かる。畑の中だ。そこはドラム缶とか、農具とか、バケツとかが置かれており、何もない田圃ではない。流石に水田は平らで、何もないが。
 つまり、何かがいるのだが、正体が分からない。それが妖怪の始まりだ。
 実際にはくの字に腰を曲げた姿なので、人だとは認識できなかったのだろう。それが動き出したとき、やっと、あの老人かと下田は納得したのだが、急に物体が人間に変わったので、少しは驚いた。
 老人は道路の向こう側の大きな農家に戻るのか、自転車に農具を積み、動き出した。その先を猫が走る。猫も来ていたのだが野良猫ではない。老人は自転車には乗らないで、押している。これが杖になるのだろう。
 夏に出る妖怪だが、その老人、かなりの高齢で来年は出るかどうかは分からない。出たとしても別のものになっているだろう。
 
   了

 


2016年5月24日

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