小説 川崎サイト

 

極めた人


「極めると普通のもの、普及品のようなものになります」
「極めると?」
「そうです。その道の達人です」
「達人ほど高度なものを持つのでは」
「剣の達人ほど普通の刀となります」
「なりますか」
「なります」
「どうしてですか」
「抜かないからです」
「チャンバラをしない」
「まあ、真剣勝負など希でしょ。どちらも怪我をしますからね」
「木刀や竹刀になったので、刀はいらないと」
「その時代なら、もう鉄砲ですよ。短筒ですよ」
「しかし、名工は良い道具を持っているはず」
「道具で勝負を決めるのは、まだ甘い。まだまだじゃ」
「でも切れ味が悪いので」
「切れ味の悪いものでもあるレベルのものを作る。これが名工だ」
「はあ」
「しかし、すぐにそうなったのではない。道具類も最高のものを極めた結果、普通のものに戻る」
「普及品ですね」
「絵筆も学校横の文房具屋で売られているものを使う」
「結構高いですよ。百均の方が」
「そうだな。三本で百円で、三種類の筆。これで十分」
「しかし、貧乏臭いものを持っていると、見下されませんか」
「うむ、見下される」
「じゃ、気分が悪いじゃないですか、やはり実力に合った良いものを持たないと」
「名のある名人、これはだめだ」
「はあ」
「匠とは、そもそも名がない」
「そうなんですか」
「名人と言われるようになれば、おしまい」
「どうしてですか」
「名人らしい作に走るからだ」
「いいじゃないですか」
「しかし、匠とは職能人。これは名がないのだよ」
「職人のことですね」
「これは極めるも何も、やっておれば、自然に身につく。だから、極めた人など珍しくも何ともない。逆に極めすぎて、それが面倒になる」
「名人だけにプレシャーも相当あるのでしょうね。そのことを言われているのですか」
「まあ、そう言うことじゃ」
「初心者は明日百メートル先にいるが、名人は一ミリしか進まん」
「その一ミリ、凄い価値のある」
「そんなもの分かる人なら、おらんよ」
「はい」
「そして勝負はそんなところでは決まらん」
「では、どこで」
「何の勝負かにもよる」
「はい」
「極めてもいいことはない」
「そうなんですか」
「極めた人だけが、この心境が分かる」
「分からない方が幸せですねえ」
「そうじゃな」
 しかしこの老人、名人ではなく、それになれなかった人のようだ。
 
   了


2016年6月7日

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