小説 川崎サイト

 

牛乳配達員は走らない


「とうとう来るものが来たか」
 牛島は覚悟を決めることにした。決めたくはなかったが仕方がない。見た限り、それは認めなくてはならないだろう。
 早朝の住宅地でのことだ。見たのは自転車。そんな早くから自転車に乗っている者は限られる。新聞配達とか。
 しかし、その自転車は大きい。運搬車。アルミ缶集めの自転車でも、そんな本格的な運搬車には乗らないだろう。普通の落ちていそうなママチャリだ。それに運搬車など、もう滅多に見ないが、クリーニング屋の横の路地で、一台見たのが最後。これは今もある。使っていない。
 牛島が見たのは牛乳配達の自転車。その時代、もう有り得ない。牛乳の宅配車はたまに見かけるが、三輪バイクだ。ヤクルトの配達車も電動アシストだったりする。
 牛乳配達を自転車でやってはいけないという法律はない。ハンドルに二つ、後輪の横に二つ、大きなバケツのような袋を括り付け、それがやってきた。有限会社猪名川牛乳と袋に名前とマークが入っている。有名メーカーではない。近くの牛乳加工工場から来ていた。その工場はただの家だ。民家に近い。そこの大将が配達に来ていた。町内に大将が腐るほどいた時代だ。
 ただ、このただが、全てを決するのだが、そんな工場はないし、猪名川の大将が自転車で牛乳配達をしていたのは四十年ほど前の話だ。
 牛島はそれを新聞受けのある門のところで見た。朝靄の中、その自転車の真正面を。そのシルエットは、もうこの世のものではない。
 しかし、あの世のものでも未だに自転車で牛乳配達などするだろうか。それにどの家に配るのだ。
 すると答えが出て来る。覚悟のいる答えが。それは牛島があっち側へ行ってしまったのだ。
 しかし、取り出した新聞を見ると、今日の日付で、ささっとめくると梅雨入りと見られるという記事がある。昨日と繋がっている今朝がしっかりとある。ここは現実。これが救いだ。この新聞記事が太平洋戦争勃発、真珠湾奇襲などの記事なら、危ないが。
 それではどっちだ。
 しかし、答えはすぐに戻ってきた。運搬車と見間違えたのは、子供二人を乗せられる骨太な自転車で、それに乗っているのは猪名川の大将ではなく、似たような風貌の親父で、牛乳の袋は、やはりアルミ缶入れだった。その証拠に後ろの荷台にもサンタクロースが背負うほどのビニール袋が積まれていた。
 今朝は燃えないゴミの収集日。だから、こういう人がウロウロしているのを見かけるが、我が家の前を通ることは希だった。
 そして、しばらくすると、遠くの方でアルミ缶を踏みつけるカンカンという甲高い音がいつまでも鳴り響いていた。
 
   完

 




2016年6月9日

小説 川崎サイト