小説 川崎サイト

 

信夫の野望


 人は何かをするとき、野望が必要だ。ただ、そんなものがなくても、物事はできるのだが。
 何かを強調する。そういう人がいる。この高円寺の信夫氏は野望が好きなようだ。彼はある道の老大家で、ずっと野望を抱いて生きてきた。そのため、大家になれたのだろう。これは成功した人だけが言えることで、勝てば官軍、何でも言える。しかし、野望とは勝利を得ることではない。また野望は達成できないことが多い。殆どがそうだろう。
「先生はもう野望をなくしたのですか」
「どういうことですかな」
「最近枯れられた」
「それもまた野望」
「枯れられたのに」
「枯淡の境地、これもまた野望なのですよ」
「はあ」
「何事も野望がある方がやりやすい。野望がエネルギーになりますからな」
「夢や希望のようなものですね」
「そうです。叶えられなくてもいいのです。まあ、野望を叶えるためにやるのですから、最初から叶わぬ望みではだめでしょうが、では誰がそれを決めるか。それは自分。そのため、とんでもない妄想を抱くことも可能」
「目的がある方が生きやすいのと、同じですね」
「そういうことです」
「はい」
「野望、野心、これらは野暮ったいこと。野原の野だ。野良犬の野だ」
「野望のイメージが悪いですねえ」
「野蛮もそうじゃな」
「野がいけないのですか」
「いけなくはない。殆どの人は、この野っ原で生きておる。野の人としてな。野とは世間のことでもある」
「在野の学者のような野ですね」
「野に下るの、野だ」
「野党の野ですか」
「何も望まなくても、家督が継げる。伝統を継げる。官位を告げる。公に対しての野だ」
「そういう話ではなく、野望が源泉なのですか」
「ああ、私の場合はね」
「しかし、最近大人しくなられて、枯れられていますが」
「それも野望なんじゃ」
「あ、はい」
「年取って枯れていくのではなく、枯れたものを目指しておる。これが今の私の野望だよ」
「つまり、常に何かを望んでおられるのですね」
「そう。野望には目的がある。あれになろう、これになろう。あれがしたい、これを果たしたい、などなどな。それが具体的にある」
「はい」
「野心というのがある。これは目的は何かまだ分からない。しかし、隙あらば何かを掴んでやろうとしておる。野心家がそうじゃ。しかし既にある地位にあれば、この野心、隠さねばならない。野心家は警戒される。しかし、野望を持つ人間は、もちっと無邪気だ。ただの望みを持つ程度で、しかも目的が分かっている。具体的だ。だから分かりやすい」
「それで、先生は野望がお好きで」
「私の次なる野望は、枯淡の境地。隠居して気楽に暮らすのが野望」
「はい」
「まあ、希望を述べておるだけのことじゃが、これがあるとないとではぜんぜん違う」
「はい」
「だから君も野心ではなく、野望を持て。それはスケールには関係ない。大きくても小さくてもな」
「野望ですか」
「それは妄想でもよろしい」
「はい」
「そちらの方が、実は力が強い」
「いやいや僕は常識人なので、なかなかそこまでは」
「その常識人になることも、野望なんじゃ」
「そうなんですか」
「常識人など何処にもおらんではないか」
「はあ」
「それもまた妄想の一つ」
「あ、はい」
 
   了



2016年6月13日

小説 川崎サイト