小説 川崎サイト

 

極端


「一方を優先させると、逆のもう一方が顔を覗かせる」
「何かを優先させると、そうなりますねえ」
「気にしなければいいのですがね、その反対側を」
「陰陽のようなものですか」
「表と裏の関係じゃないが、似たような構図になることもあります」
「はい」
「優先させていないものが嫌なのではない。ただ、少しご無沙汰だ。ずっとそちら側で暮らしていたこともあり、今もたまにはそちら側にもいる。しかし、ずっといると、その逆側、反対側に戻りたくなる」
「振り子のようなものですね」
「そうだね」
「じゃ、中間位置はどうですか」
「それでは物足りないのですよ。もう少し強調したものでないとね。これをやり過ぎると極端になる。振り子が振り切った側だ」
「でも振り子なのですから、思いっきり振れば、思いっきり戻るでしょ。両極端を行ったり来たり」
「忙しいねえ」
「だから、中間がいいのですよ」
「それじゃ振り子じゃない。柱時計も止まってしまう。あれは振らないと、動かない」
「時間が止まると」
「そういうことだ。だから、どちら側でも良いので、少し振らないと、時は進まん」
「じゃ、あまり大きく振らない方がいいのですね。時が刻める程度の」
「しかし、振り子時計が止まっても、時は進んでおる」
「ああ、そうですねえ」
「だから、ブランコがいい。しかし、あれも行ったり戻ったりで、あの鎖の幅しか動いておらん。ブランコごと動くのならいいのだが、結局は同じ位置で行きつ戻りつを繰り返しておるだけ」
「例え話には限界がありますから」
「そうだね」
「しかし、年を取ると振り幅を計算するようになる。振り切ると戻りが辛いからね。だから、適当なところまで振る。極端には振らなくなる」
「中間から少し行った程度ですか。歩いて帰ることができるような」
「そうだね。自転車でもいい」
「クルマになると、かなり遠くまで振ることになりますねえ」
「道が続く限りな。道がなくてもフェリーで渡れる」
「それで、最近の振り幅はどの辺りですか」
「徒歩は、まあ、もう少し先だ。それでは物足りない」
「はい」
「私鉄の距離がいいかもしれん。それほど長くは続いていないでしょ。または市バスでもいい」
「結構近いですねえ」
「無理をすればタクシーで戻れる距離だね」
「自転車でもかなり遠くまでいけますよ」
「帰りが面倒だし、尻が痛くなる」
「振り子の戻りを気にしているようなものですね」
「ブランコのように労なく戻れないからね」
「はい」
「それで私が得た結論がある。これはただの思い込みかもしれないが」
「どんな答えですか」
「極端に走れば、その先は、その逆側の裏に出てしまう」
「はあ、何ですか、それは」
「戻らなくてもいいんだ。振った分の戻りではなく、さらに振り、極端を越えたところで、反対側の裏に出るんだ」
「それは故障でしょ」
「えっ」
「ブランコなら、ねじれたか、落ちたか、宙返りしたんですよ」
「ほう。その例えもいいが、少し違う」
「あ、はい」
「大を求めて、振り切ると、その先に小がある」
「はあ」
「小を求めて振り切ると、振り切った先に大がある」
「一寸絵が思い浮かびません」
「正義を求めると悪になり、悪の極地は正義だったりする」
「はあ」
「まあ、これは言いすぎだがね」
「そ、そうですよね」
 
   了



2016年6月14日

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