小説 川崎サイト

 

体気


 蒸し暑く、じめじめとしている季節、高梨は体調が悪い。体調とは身体の調子だが、何処が悪いのかの重さや範囲は非常に広い。病名を言いにくい場合は、この体調を使う。しかし言いやすい病名などあまりない。内科か外科、整形外科も耳鼻咽喉もある。しかし、任意の病名を言うとリアルになりすぎる。だから、体調がいいか悪いかのイエスかノー的なところで、曖昧にしている。
 高梨の体調は、散歩に出たときに露わになる。出歩けられるのだから、大した症状ではないのだが、これは日課なので、癖になっている。寝込むほどのことでもない限り、出ている。
 梅雨時など足が重い。息苦しい。いつものコースの半分ほどでバテたようになる。しかし翌日湿気が減り、カラッと晴れておれば、すたすたと歩ける。これでほっとするのだが、足などが痛い場合、その限りではない。痛いものは天気に関係なく、痛い。
 普段使わないような筋肉を使ったり、普段取ったことのないポーズを取ったとき、筋が張ったり、痛くなったり、筋肉痛になったりする。これは二日もあれば、直っているはずなのに、一週間も二週間も取れないこともある。流石にこれは心配になる。この場合も、天気は関係しない。
 そして、いつに間にか直っていたりする。少し手こずったのだろう。
「この世では何が起こるのか、一歩先は闇です」坊主が言う。高梨の同級生で、インチキ臭く、胡散臭い男だが、寺の息子だったので、いつに間にか住職になっている。学生時代までは一緒に遊んだ仲だが、卒業してから互いに別の町で暮らすようになり、何十年も合っていなかったのだが、互いに帰郷し、互いに家業を継いだ。ただ高梨家の家業は既に廃業になっていたため、実家に戻り、家を継いだだけのこと。
 それで久しぶりにインチキ坊主に合いに行った。学生時代から丸坊主だったのは、いずれ坊主になるのだから、今から坊主頭にしておいた方が目立たないと判断したようだ。いきなり頭を剃るのは嫌だったのだろう。
「一寸先は闇ねえ、これを常套句というじゃないのかい」
「坊主はそういうものを口走るものさ」
「そうか」
 この寺に、その常套句というか、金言というか、なかには川柳のようなものを書いて、門の前に貼ってある。ワープロで大きな文字で印刷したものだ。彼の仕業だ。
「病気も気、気運も気、天気も気。気が意味するものがそれで分かる」
「それは気のせいだよ」
「ほら、そこでも気を使っている」
「気遣いもそうか」
「そうそう」
「体調と気との関係は?」
「気功は、わしは信じていないが、体気はある」
「体気」
「まあ、気力、精力のことじゃが」
「その年寄り言葉、やめてくれないかなあ」
「なにがじゃ」
「その、じゃ、だよ」
「ああ、最近これを使うようになった。もう年寄りの坊主なのでな」
「まあ、いいけど、その体気って何となく分かる。身体の大気のようなものかい」
「これは体内だけを差すのではなく、外側とも関係してくる。まあ、空気がなければ息ができないように、外との関係も大事」
「そういうインチキ臭いこと、何処で仕入れてくるの」
「オリジナルだよ。オリジナル」
「それはいいけど、体調と体気の関係は、何となく分かる」
「そうなんだよ高梨君。身体の中にも宇宙がある。これは曼荼羅図を見れば分かる」
「胎内何とかとか」
「そうそう」
「まあ、人の生命も宇宙の生命も、同一のもの、単独では存在しない。繋がっておる」
「それはよく聞く」
「わしも、草木も、人も空気も、石も岩も、水も一体のもの」
「そう思うと、地球が一匹の虫のように見えるなあ」
「しかし、わしが語るのはここまで」
「え、どうして」
「ここから先は宇宙宗教になるので、それは避けたいからじゃ。わしはSFは苦手でなあ」
「はいはい。ところでお寺の方は大丈夫」
「見たら分かるでしょ。幼稚園と保育所をやっているので、当分大丈夫。裏の丘にまだ墓地の余地もあるしな。下手な山より儲かるぞ」
 この同級生、里に帰るまでの長い期間、商社マンをやっていた。下手に寺で修行するより、多くの修羅場を越えてきたようだ。
 高梨は体気という言葉を手土産に、寺山を下った。
 
   了

 

 

 


2016年6月27日

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