小説 川崎サイト

 

出る杭は打たれる


 杭が並んでいる。畑の淵だ。棒と棒の間に針金が張ってある。軽い策だ。その杭は農夫が打ち込んだもので、先を尖らせ、ゴツンゴツンと叩いて立てている。そのため、その気になれば簡単に抜ける。同じ杭が畑の中に何本か並んでいる。蔓を巻かせるためだろうか。
 その杭の中で一本だけ高い杭がある。最初から長いのだ。どの杭も長さは僅かに違うが、その一本だけは特別長い。農夫はある程度高さを揃える美学を持っており、その長い杭も可能な限り叩いたのだが、それ以上打ち込めない。
 つまり一本だけ頭を出している杭は何か目障りで、所謂出る杭は打ちたくなる。
 この出る杭は打たれる、の杭とは何だろう。これが釘なら分かる。しっかりと打ち込まれてなく、浮いている釘なら打ち込むだろう。これは釘を打つのを途中でやめたのか、または固くてそれ以上打ち込めないのか、あるいは貫通してしまい、釘の先が出てしまうためだろうか。
 目立ったことをしたり、余計なことをした場合、出る杭は打たれるの例え通りになることがある。出てはいけない。出しゃばってはいけないのだろう。しかし打たれない杭もある。それを打つと、あとが面倒になる杭の場合だ。出る杭を打った者があとで悔いが残るような。
 出る杭の人の場合、それは単独が多い。または少数。だから潰しやすい。ただ、繰り返しになるが、その杭の背後に面倒なものがあると、単純には潰せない。叩いた側がひどい目に遭う可能性があるためだ。
 また、出ている杭だが、打って低くしないのは、しばらく泳がせるためもある。出る杭も使いようで、その出る杭に集まる連中が溜まるまで待ち、一網打尽にしてしまうとかだ。
 では、なぜ出る杭は打たれるのか。出ていると、つい打ってみたくなるためかもしれない。
 
   了



2016年7月14日

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