小説 川崎サイト

 

通夜の宿


 梅雨時の雨、旅先での雨はかなわない。少し山奥にある村のためか、夏の雨にしては冷たい。昼間はいいのだが、日が沈んでからは寒いほど。その雨に遭った武者が岩室のようなところでしゃがみ込んでいる。体調が悪いようだ。
 そこを通りかかった旅の針売りが様子を聞くと、夏風邪をこじらせたようだ。薬売りなら、それなりの薬はあるのだが、縫い針では仕方がない。あくまでも針売りで、針治療の技は身に付けていない。
 武者はここで野宿するつもりだったらしいが、それでは身体に悪い。それで針売りが泊まる宿へ一緒に行くことにした。この針売りが定宿にしている農家だ。村では離れ家と呼ばれている。ぽつりとある一軒家のためだ。嫌われ者が住んでいる。
 武者は蓑を被り、針売りは合羽を羽織り、定宿の離れ家へ向かう。日は暮れかかっているように見えるが、雨で空が暗いだけ。
 離れ家は普通の農家で、雨戸の向こうに土間があり、廊下があり、そして障子が開いている。人がかなりいる。これは先客が多いので、針売りは相部屋を覚悟した。屋根のあるところで泊まれるのなら、問題はないが、ここで他の客を見たのは初めてだ。宿を貸す程度の農家のためだろうか。
 座敷に棺桶が置かれ大勢の人達が座っている。殆どが老人だ。座るところがないほどだ。
 廊下に出てきたのはいつもの家の人ではないが、取り込み中でもよろしければ、ということだ。
 つまり、通夜をしているらしい。この離れ家の主が亡くなったようだ。
 二人は別室に通され、すぐに結構な膳が出た。通夜のための料理だろうか。酒も飲み放題だった。
 武者はそれを飲むと身体が温まったのか、生き返ったように顔に赤みが差した。
 そしてたらふく食い、適当に蒲団を出して、寝た。針売りにとり、勝手知った場所なのだ。
 針売りは厠が近いのか、寝入ってすぐに催したのか、目を覚ますと、まだ障子に人影が映っている。大勢だ。朝まで通夜が続くのだろうか。結構賑やかで、笑い声も聞こえる。
 武者はぐっすりと朝まで眠り、少しは回復した。針売りはまだ寝ている。
 武者は厠が何処にあるのか分からないので、入ってきたときの障子を開ける。そちらは通夜をやっている座敷だ。この家で一番広い。もう誰もいないが、棺桶だけがぽつりと置かれている。
 針売りも起きて、家の者を呼ぶ。しかし、誰も出てこない。
 家中の部屋を見て回るが鼠の一匹も出ない。寝起きそうそう宿を立つ、つまり早立ちが針谷の習慣なので、宿賃を棺桶の横に置き、旅立つことにした。
 少し坂を下ったところで、村人と出合う。山仕事にでも出るのだろう。
 昨夜の通夜のことを話すと、離れ家の主人は村の鼻つまみ者だったので、淋しい通夜だったでしょうという。
 いや、大勢の年寄りが座るところもないほど来てましたと針売りが答えると、村人は不思議な顔をした。
 お二人とも見られましたかと聞く。武者も見たと答えた。
 村人は首を少しだけ横に振りながら、そのまま山へ向かった。
 
   了



2016年7月15日

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