小説 川崎サイト



野井戸

川崎ゆきお



「野井戸に降りると……」
「井戸ですか?」
「野原にポツンと穴の空いた井戸だ」
「危ないですねえ。子供が落ちると」
「野井戸跡だな。昔は野中の井戸じゃったが、今は住宅地の中にある」
「余計、危ない」
「穴は蓋されとるし、私有地。つまり人の家の庭だ。よその子が出入り出来る場所ではない」
「どうして、埋めなかったんでしょう?」
「珍しいからじゃやないのかな。家の主は団地で生まれ育った。床下は他人の家だ」
「なるほど」
「井戸を埋めないで宅地とした。木でもあれば、それも残したかもしれんがな。柳の木があったらしいが、それは抜いたようじゃ」
「それで井戸が残っていることは理解しました」
「しかし、野井戸時代にも使われておらなんだようでな。畑の水やり用じゃったが、昔のことじゃ」
「井戸の説明は分かりましたから、斧のことを話してください」
「話して信じてくれるかな」
「お話として拝聴します」
「わしが探していた井戸がそれだった。やっと見つけ、その家の庭に忍び込み、井戸の蓋を開け、中に降りた」
「それだけでも、凄い話です」
「下まで降りたわけではない。その途中に横穴がある。上からでは見えにくい角度にある。懐中電灯で照らしてもな」
「その横穴がポイントなんですね」
「そういうことじゃ」
「それで横穴へ……」
「潜り込んだ。四つん這いで進んだ。芋虫のようにな。すると出口だ。出口が近付いた。光り輝いておる」
「昼間の話ですか?」
「井戸に降りたのは夜中じゃよ」
「はい、了解しました」
「外に出ると野原じゃ。一面の草むら」
「はあ、すると野井戸のあった時代とか」
「草むらなんだよ。田畑はない。わしはこんな広い草むらは見たことがない。草原と呼ぶべきかもしれん。地の果てまで続いておる」
「何処なんでしょうね?」
「わしは振り返った。出てきた穴は小高い丘だ。前を見た。似たような丘がある。すぐに登り切れるような丘だ」
「珍しい地形ですね。原野でしょうか」
「草は膝ぐらいの高さでな。地面はぬめっておる」
「そこで戦ったのですね」
「大小様々な蛙でな。大きいものではわしの背丈ほどあった。それがボスのようだった。武器を持たぬわしは引き返した」
「それで、この大斧を買われたのですね」
「他意はない」
「でも夜中、住宅地を、そんな大斧を持って歩かれないほうがいいですよ」
「ああ、了解した」
 
   了
 
 

          2007年3月19日
 

 

 

小説 川崎サイト