小説 川崎サイト

 

物について


 物に愛着を抱く人がいる。これは慣れ親しんだ物程度のことかもしれないが、まだ自分の物になっていない物でも、そう感じることがある。それは多くの物が、その人の延長のためだろう。足の延長で靴下。これは靴の延長かもしれない。靴や足袋、これは足の裏だけではなく、足の甲まで包む。下駄や草履には屋根がない。足の裏のみの延長。
 そして足の延長として自転車や車がある。足は何ですかと聞かれたとき、電車とか、徒歩とか、バイクとか、車を指す。また長靴やブーツがある。これは防寒用や保護用だろう。雨の日など、道が悪かったので昔は履いたものだ。今でも小さな子は履いている。これで水溜まりの中でも入れる。池は無理だが。
 そういった足元よりも、馴染み深いのは手だろう。手にする物。箸は指の延長。茶碗やコップは手の平の延長だろうか。それらがなければ、水を手に移して飲むだろうし、指で食べ物を直接掴む。
 頭部になると、上から帽子がある。これはお気に入りの帽子とかがあり、愛着を覚えやすい。日差しから頭を守ったり、風から守ったり、ハゲ隠しにもなる。髪の毛の延長かもしれない。その下の目は眼鏡がそうだろう。目の延長だ。耳の延長の補聴器や、イヤホンもある。よく聞こえる。口の中は歯のかわりの物が詰め込まれていたり刺さっていたりする。また入れたりして獅子舞の獅子のようになる。
 物というより、道具に近いものは、愛着を覚えやすい。コブシの延長が刀やナイフではないが、石を投げるかわりに銃で撃った方が早い。刀剣や鏡は神器になるほどだ。鏡は逆に他人の目だ。これはこれで奥が深い。
 自分の部屋を見渡すと、色々な物がある。家具がそうだし、衣服がそうだし、押し入れにはいろんな物が収納されている。当然机の引き出しにも様々な物が。これらは一つ一つ買ったり貰ったものだとすれば、それなりの物語がある。どんな具合で買ったのか、どんな用件で使ったのか、その時期はいつ頃か、そして何処で買ったのか、そのお金はどうしたのか、等々、ストーリーが含まれている。これは創作しなくても、思い出せば語れる。ネタを繰る必要はない。実際にあったことなので。
 ここで言う物とは、形のある物だ。具体的に空間を占めている物体だろうか。身体の延長としての物に限っての話だが、この「もの」というのは「者」になったり、事柄になったりする。正体がないものにも使われる。皮膚にできる出来物ではなく、出来事だ。
「物申す」とかも言う。誰かに対して、意見を言うことだろうか。物議を醸すなどもそうで、こうなると物理現象ではなくなる。
 このものというのは曲者で、身体の延長だけではなく、精神の延長でもある。まあ、精神的なものとは、道具と同じで、自分にとって便利かどうかだろう。その方が生きやすいからだ。
 精神的な延長は内部の充実感だけで済ませておればいいが、外部へ向かったとき、物騒なことになる。
 
   了
 

 


2016年8月5日

小説 川崎サイト