小説 川崎サイト

 

予定外


 予定は変わる。将来への思惑も予定通り行かないことが多い。一歩二歩、三歩四歩目で実現するようなことでも、二歩目か三歩目で躓き、目的を果たせないままフェードアウトすることもある。これは先々の夢や希望だけではなく、嫌なこと、悪いことも思っていたほどには悪くならなかったりする。台風が来ると思っていたが、来なかったというようなことだろうか。
 思わぬことで予定が狂い、計画が狂うのだから、妙な希望は抱かない方がいいのだろうが、それがあるとないとでは日々が違う。しかし、その日の予定でも狂うのだから、さらに先のことになると、危ない話だ。
 予定が狂うのはよくあることなので、問題はないのだが、予定を立てた人に、問題があるのかもしれない。これは希望や期待が強すぎるとか、思い込みが強すぎるとかだ。そしてしっかりとレールが敷かれているように錯覚してしまう。
 どうなるのか分からない。そのときになってみなければ。
 これが正解かもしれないが、予定通り行くことも結構あるので、それなりに準備しておくことも大事だろう。
 だから、結局はよく分からないということになる。そのよく分からないことはよく分かる。
 また予定や計画に拘っていると、予定外、計画外、予想外、想定外のことが起こっていても、無視してしまいやすい。
 しかし、突然沸いたいい話、ラッキーな流れ、美味しい話だと、手を出していいものかどうかで迷う。また予定とは違うものを得に行くことになるからだ。最初予定していたものよりも、より魅力があり、価値あるものなら、乗り換えるだろう。しかし、予定になかっただけに、その先の展開が狂う。予定が達成されれば、その次の予定が来るのだが、方角や路線が違ってしまったりする。
 これはラッキーな話だが、その逆の話になると悲惨だ。予定にない事が起こり、その先へ行くどころか、違う世界に投げ込まれてしまう。
 そういうことは、結構日常的に起こっている。大した被害はなく、大したことにはならない些細事なら、いくらでもあるだろう。
 こういう小さなモデルが日常内には転がっており、実際に体験しているはずだ。夕食のおかずを買いに出て、最初計画していたものではなく、特価で安いのがあったので、それを買って帰ったとかだ。しかし、家にある残りのおかずとの相性が悪い。その程度ならいいのだが、さあ食べようかと思うと、あるはずのご飯がない。昼に食べきっていたことを忘れていたのだ。
 このご飯やおかずなどは大きな問題にはならないが、これは雛形で、より重大な事柄においても、ご飯がなかったとかに近い事柄が起こる。
 問題は思惑なのだ。思惑通りに事を運ぼうとするためだろう。これは誰でもそうだが、思い入れや、思い込み、思惑が強すぎると、横へのスライド行為が辛くなる。これは頭の柔軟性とは少し違い、性格的な問題もある。硬い人は硬いまま行くしかない。
 これに対しての名言はないが、近いのは「いい加減」だろうか。「いいかげんにしろ」「いい加減なことを言うな」のいい加減だが、本当は良い加減、善い加減だろう。程良い加減なのだ。つまり加えたり減らしたりが巧みな人。「いい湯加減」に持って行こうとすれば、結構あやふやな方がよかったりする。
 予定は微妙に変えてもいいのだ。軸がぶれないというのは有り得ない話だろう。これこそ、いいかげんな話だと言える。
 軸がぶれない人は、本当は始終ブレ続けている。それで真っ直ぐに直し続けているのだ。
 
   了

 


2016年9月5日

小説 川崎サイト