小説 川崎サイト

 

蛭田老人噺


 長雨が続き、暑くなったり寒くなったりする。そんなとき体調を崩しやすい。
「風邪かな」
 蛭田老人は隠居さんで、何もしていない。そういう人ほど気候の変化が身体に出る。暇なためだろう。
「暇じゃが、わしはやることが多くて忙しい。一日が短くて足りんほどじゃ」
 その中身を聞くと、大したことはない。所謂隠居仕事のようなもので、結局、プレッシャーが殆どないことをしている。別にやらなくてもいいようなことだ。
 自分に対してプレッシャーを掛ける人がいる。これは相手は自分自身。自己新記録の更新などがそうだろう。ただ、その記録、誰かに見せるのなら別だが、自身が納得するだけのことなら相手は軽いし甘い。自分自身がスポンサーのようなものなので。
 プレッシャーの多くは自己完結的ではなく、相手がいる。しかも非常に大事なことや仕事なら、将来に関わるし、地位や名誉や存在や評判にも関わる。
 だから他人が掛けてくるプレッシャーの方が厳しい。当然の話だが、これを掛けられると言霊を発せられたり、呪いを掛けられたようなものなので、たまったものではないが、気温の変化で体調を崩すようなことはない。
 蛭田老人が感じたのはそれだ。年取ってから気温の変化に影響が受けやすくなったのではなく、大きなプレッシャーが掛かっていたので、それどころではなかったのだ。
 また、風邪を引いても蛭田老人は静かにしていれば治る。その時間は十分ある。だから安心して風邪も引ける。そのため風邪がどんどん入り込む。
 要するに本当に重要なことをしているときは、風邪など引いている暇がない。ところが蛭田老人は、風邪ぐらい引いてもかまわないと思っている。本当は引きたくないが、ガードが甘い。それなりに風邪を引かないような工夫は人一倍しているが、何処か余裕がある。
 そして、縁側でまだ青い柿を眺めていると、台風が近いことを知る。これは体調の変化で、何となく分かる。こうなればもう立派な隠居さんだ。
 
   了



2016年10月8日

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