小説 川崎サイト

 

異変


 平凡な日常生活の中で異変が訪れる。そして異変はいきなりが多い。予測されていたものもあるが、時期が分からないし、来ないかもしれない。または予測不可能な突然の異変もある。異変なので、何か変だなあ程度のものではない。生活を脅かされたり、生存にも関わったりする。またその異変が起こると、その後、嫌なことが続き、平穏には暮らせない。
 来るものが来た場合も、このタイミングでか……などと時期が問題だったりする。悪いときには悪いことが重なるが、良いことが重なっているときでも、来るものは来る。
 ただ異変、悪いことばかりではない。災難のように思いがちだが、どうせ何処かで果たさないといけない事柄だったりする。
 異変は日常のリズムとは相容れない別の調子、調べだ。異音、不調和音のようなものだが、異なった音色なので目立つ。飛び出す。
 この異変も時間が経つと静まっていくのだが、解決したわけではない。慣れたわけでもないが、日常の中に浸透していくのか、いずれ日常に組み込まれる。すぐに終わるような異変なら、一時のイベントのように、台風一過で済む。
 平穏な暮らしとは文字通り、波風の立たない暮らし。平穏さの中にも、たまにさざ波は立つが、日常範囲内。
 異変が起こると先々のことが不安になる。今日と同じような明日ではなくなるが、それが長期に及ぶ場合、やはり慣れになるのか日常化する。これは異変を特別扱いしていると辛いからだ。身が持たない。場合によっては取り込んでしまう。日常の中に入れてしまうのだ。
 人は慣れることで何とかなることもある。ただ異なったもの、違うものは追い出そうとするだろう。これは肉体がそうだ。棘が刺さっても、そのうち抜けたりする。中から押し出しているのだ。
 異変に対する反応、それは人まちまち。因果関係もあるが、因果の外のこともある。原因は本人には一切ないのだが、遠いところであるのかもしれない。偶然は有り得ないという説で、その偶然が起こるだけの理由があったりする。本人が気付かないだけ。
 日々、どうでもいいようなことで気を揉んだり、残念がったり、喜んだりしているのは、もの凄く平穏な証拠。呑気でいられるというのは本当はもの凄いことなのかもしれない。
 
   了

 


2016年10月19日

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