小説 川崎サイト

 

カツが入る


 何かの用事で急に忙しくなり、一日では片付かなく、数日労するようなことで、しかも急がないと間に合わないようなことが起こると、その数日間、結構ハードな日々となる。それがなければ日常のことを淡々とやっているのだが、これは急を要するような用事ではないため、だらだらとやっていたり、放置しているものもある。今、急に何も起こらないためだろう。
 いつも呑気に暮らしている下田は、ある日、降って沸いたような用件で忙しくなった。日頃の用件をやりながらなので、時間が足りない。しかし数日余裕がある。ただ、その日数で片付くかどうかは分からない。そのため、普段の用事はてきぱきと片付けるようになった。また、しなくてもいいものは省略した。テンポが早くなったので、空き時間が増え、いつもは散歩に出たり、昼寝をしたり、何もしないでテレビを見ているのだが、その時間を当てれば、何とかなる。
 しかし、食後の散歩や、昼寝や、無駄な時間が好きで、何もしていない状態に慣れ親しんでいた。
 急ぎの用事で日常生活が崩れたわけではなく、まだその範囲内で何とかなる。ぼんやりとしている時間をそれに当てれば数日で片付く。
 冬の初めだが暖かい日で、こんな日は日向ぼっこがてら散歩に出て、紅葉がどの程度進んでいるのか、街路樹などを見て確認したりする。それこそ、しなくてもいい用事だ。そしてこれは用事でも何でもない。そういうことがここ数日できなくなっているのだが、特に不満はない。なぜならエンジンが掛かり、ギアが入ったため。
 つまり間に合わないかもしれないという緊張感が効いたのだろう。人は追い込まれるとそれなりの力を発揮する以前に、そういう頭になるものだ。描いているイメージが別のものに切り替わり、大袈裟にいえば世界が違ってくる。
 下田の場合、潜在能力が活性化したのではなく、まずまずの力しか発揮できないが、それなりに動きは良くなった。暮らしぶりが編み直されたような感じで、これが少し新鮮だ。そう思えるだけ、まだゆとりがあるし、大した用件ではなかったのかもしれないが、下田にとり、それは緊急事態発生と同等。日常が覆される思いになるほどの。
 しかし、別の日常に切り替えられるようで、かえって溌剌とした日常を過ごせるようになった。
 しかし期限が迫ったとき、残りの日数では間に合わないことが徐々に分かってきた。まだ潜在能力を発揮していないというより、物理的に無理なため、いくら急いでも無駄だった。
 ここ数日、昼寝こそしていないが、夜はしっかりと寝ている。物理的に無理なことが分かったので、睡眠時間を減らして時間を作る必要がある。寝る時間を削ってまで何かをするということはもう何年もないようだ。若い頃なら、こういうときは徹夜をするだろう。しかし、下田のように年取ってからは徹夜の翌日は何ともならない。それで期限に間に合うのならいいが、半日分ほど有利になる程度。
 その前に寝る時間が遅くなった。いつもはある時間になると蒲団に入るのだが、眠くなくても入る。寝付きは良いので、すぐに眠れる。しかし、世界が変わってしまったのか、その時間になっても眠くないし、蒲団に入っても眠れない。やはり気になるのだ。それで少しだけ寝るのが遅くなった。逆に朝は寝過ごす。目が覚めると、忙しい一日が待っていると思うと、もう少し寝ていたい。起きると地獄のような日になるわけではないが。いつもの日常とは違うのだ。
 しかし頭の中が切り替わったのか、起きてしばらくすると、エンジンが掛かりだし、動きが良くなった。
 結局、期限には間に合わないことが分かった瞬間、エンジンが切れた。何とか期限を延ばしてもらうように交渉した。それが終わると、ほっとしたのか、いつもの呑気な下田に戻っていた。交渉のとき、先方が、それほど急ぐようなことはないと言ってくれたためだ。下田の勘違いで、急ぎの用ではなかったのだ。
 その後は、いつもの日常の合間に、その用件を少しずつ片付けている。忙しいというほどのことではない。
 だが、期限に間に合わそうと頭も身体も活性化し、ものすごい勢いで向かっていたことを思い出すと、あの感じもたまにはいいのかもしれないと思った。日常にカツが入ったようなものだ。
 
   了

 


2016年11月15日

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