小説 川崎サイト

 

橋向こうの町


 その橋を渡れば異境へ出るわけではないが、別の県や市に出る。川幅が広いと対岸の家々は遙か彼方。当然橋も長い。町と町が川で区切られている。昔なら村や郡、国境の場合もある。山脈などもそうなので、これも区切りやすい。川のこちら側とあちら側、山のこちら側と山向こう。大きな山脈だと、そんな山になどもう人は住んでいないが、平野部の川沿いなら、田畑や家があり、さらに大都市に近ければ市街地のようになるため、川のこちらと向こうの違いはそれほどない。
 加西は引っ越して来た町に大きな川が流れているのを知っていたが、渡るときはいつも鉄道や車で、あっという間に渡ってしまう。また川を渡るという実感もあまりない。川に差し掛かっていても気付かず、橋を渡るとき、やっと知るのだが、もの凄いことをしているような感じではない。電車なら見もしないだろう。多少音が変わるので、鉄橋を渡っているのだと思う程度。
 ある日、加西はその川を自転車で渡ることにした。川の中を自転車で突っ込んで渡るのではなく、普通の橋を。
 川のある場所へ近付くにつれ、町の中心部から離れるためか、殺伐とした場所に出た。ゴミの処理場や町工場が多くなる。対岸も似たようなものだと思える。川のある場所が互いに辺鄙な場所なのだ。その橋のある場所が偶然そうかもしれないが。
 川には土手がある。堤防だ。そのため、上り坂になる。これが自転車では結構きつい。そして上がりきると、見晴らしがよく、水平線にビルなどが書き割りのように並んでいる。平野部でこれだけ見晴らしの良い場所は少ないだろう。水が流れている水面も広い。さらにその三倍ほどの河原が拡がっており、半ば公園化している。ただ、そこは大雨が降れば浸かってしまう場所なので、器具などはない。
 町と町を区切る緩衝地帯のようなものだ。車や電車ならその感情は湧きにくいが、実際にゆっくりと渡ってみると、非常に幅の広い境界線だと言える。気候も風土もきっと同じはずなのだが、川一本で印象が違ってしまう。こういうのは新幹線で何本も川を渡っていても感じないだろう。山の形などが違ってきて、遠いところを移動しているのが分かる程度。
 そして下田は橋を渡りきったのだが、風景は似たようなもので、やはり殺風景な工場が多い。これは電車で渡るときの橋と違うためだろうか。国道沿いと県道沿いの違いかもしれない。
 渡りきり、さらに進むと普通の生活道路のようなところに出た。工場の次は宅地が続いている。この町の中心部から見て結構ハズレなので、まだ田圃が少しだけ残っていたりする。この風景、川のこちらとあちら、まるで鏡で映したように、同じような展開になっている。
 さらに進むと、また堤防が見えてきた。また川があるのだ。
 加西はその川も渡るが、先ほどと同じような感じだ。この町の中心部は通過しなかったので、辺鄙なところばかり走っていたのだろう。
 そして橋を渡ると、少し見覚えのある建物が見える。
「やったかもしれない」と下田は期待した。つまり、戻って来ているのだ。いつの間にかぐるっと回り込んで、最初に渡った橋に出たのだろうか。
 しかし、自分の町と似ているが、そうではなかった。やはりもう一本、似たような大きな川があったのだ。最初渡った川の支流のようだ。これで期待は外れた。
 結局二本も川を渡り、遠いところまで来てしまったため、帰り道が大変で、疲れ果ててしまった。
 
   了


2016年11月21日

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