小説 川崎サイト

 

ハンバーグの話


「昨日、何がありましたか」
「昨日ですか」
「昨日のことなので覚えているでしょ」
「そりゃ、まあ」
「で、何がありました」
「特に何もなかったです」
「何もないというのは有り得ないでしょ」
「特に変わったことはなかったです」
「しかし、何かあったはず」
「はあ、別に」
「思い出して下さい。昨日のことです。大事なことなら記憶に残りやすいですが、何でもないようなことは忘れるでしょ。だから、今のうちです。思い出せる賞味期限のようなものです。明日になると、もうすっかり忘れているはず」
「昨日は普通に暮らしていました」
「その普通さの中にも変化があるでしょ」
「そうですが」
「それで、小さな変化とまではいかなくても、一寸印象に残るようなことがあるはずです」
「そうなりますと、話が小さいですが」
「その方がいいのです」
「はい」
「で、気になったことはありませんでしたか。木が紅葉で赤いとか黄色いとかでもいいのです」
「ハンバーグ」
「ハンバーグ?」
「夕食のおかずがなかったのです。それでスーパーへ買いに行くにも雨でして、面倒なので、出掛けたついでに立ち寄れるコンビニに入りました。ご飯はあるのです。おかずがないだけ。まあ、お茶漬けの素があるので、それでもいいのですが、最近素食すぎて、少しはタンパク質といいますか、肉ケが欲しい。まあ、何でもいいのです。適当なもので」
「夕食のおかずをコンビニへ買いに行かれたのですね」
「いえ、その前に飲むものが切れていまして。紙パックの大きなコーヒーなんですが、それがメインでコンビニへ行きました」
「夕食は」
「あ、そのとき、ついでだから夕食になりそうなもので、弁当ではなく、おかずだけを買おうと。しかし、別に弁当でもラーメンでもスパゲティでもよかったのですがね。ですから絶対に買わないといけないものではなかったのですが、それがハンバーグです」
「ハンバーグ?」
「パックに入ったハンバーグじゃなく、マカロニやポテトが入っているタイプです。あとはご飯さえあればハンバーグ定食になります。ハンバーグのソースも小さなコップに入っていて、食べやすそうなので」
「つまり、昨日最大に印象に残ったのはハンバーグですか」
「他にもあったかもしれませんが、すぐに思い出せるのは、このハンバーグです。それが何か」
「そのハンバーグ、美味しかったですか」
「いや、硬くて、肉汁がジューと来るようなタイプじゃなかったです。それで後悔しましたが、おかずにはなりました。だから、失敗したとかではありませんが、多少不満は残りました」
「昨日はハンバーグを食べたかったのですか」
「違います。適当なものを探しているとき、ハンバーグが目に入ったのです。餃子でもよかったのです」
「多少の不満とは何でしょう」
「少し遠いのですが、ファミレスがありまして、そこのハンバーグが実に美味しい。ジューシーですし、鉄板に乗った状態では熱くて口に入れられないほどですし、ナイフやフォークなどなくても箸で崩せるほど柔らかい。そして肉汁がたまらない。ハンバーグが食べたいときは、これです。しかし値段が高いので、滅多に行きませんし、ハンバーグが食べたくなるときなど、そんなに多くはありませんから。肉ケが欲しければ牛丼屋に行きます。しかし牛丼よりも焼きたてのハンバーグがいいのです。これは特別な日限定でして、何かいいことがあった日とかに限られます」
「はい」
「いや、はいじゃないですよ。ハンバーグがどうかしましたか」
「昨日印象に残ったのはハンバーグ。これは何でもいいのです。一寸だけの変化ですね」
「だから何なのです」
「ハンバーグ一つでも、あなたのフレームが見えてきます」
「フレーム」
「あなたとハンバーグとの関係で、あなた自身が浮かび上がってきます」
「ごくありふれたハンバーグとの接し方でしょ。それにハンバーグが問題なのではなく、適当なおかずを探しにコンビニへ行っただけの話ですよ」
「コンビニへ寄らない人もいますよ」
「はあ」
「それにおかずがないといっても、卵とか玉葱とか、そういったものがあるでしょ」
「まあ、ありますが」
「それで済ませてもよかったのでは」
「だから、最初言ったようにお茶漬けで済ませてもよかったのですよ」
「すると、節約する必要はないと」
「いえいえ、ファミレスで美味しいハンバーグを食べに行くのは贅沢なので」
「あなたのフレームはそういうところで出るのです」
「それが何か」
「どんな事柄においても、それを囲み、押し出しているものがあるということです。それがハンバーグになって現れているのです」
「これは何かの分析ですか」
「いえいえ、そうではありませんが、一寸した日常の中に、自分が囚われている檻が見えるのですよ」
「檻? フレームじゃないのですか」
「そのフレームが檻なのです。牢屋です」
「一寸ピンとこない話なので、このへんで」
「日々折々のエピソード。これが大事です」
「はいはい」
「人はフレーム攻撃を常に受けています」
「はい、もう分かりました」
 
   了

 


2016年12月1日

小説 川崎サイト