小説 川崎サイト

 

勢いのあるとき


「勢いのあるときって、どんなときですか」
「ときねえ」
「どんなときですか」
「諦めたときだな」
「諦めたときが、勢いのあるときですか」
「何を諦めたかだ」
「何でしょう」
「怠けるのを」
「はあ」
「または、好きなことをやっているのを中断すること。この決断だね。諦めたくはないが、やらないといけないものがあるのに、遊んでいるわけにはいかない」
「じゃ、諦めて頭を切り換えるわけですね」
「切り替えたくはない」
「たとえば?」
「私のことじゃないよ。しかし良い例が思い浮かばないので言うが、連続テレビドラマを録画していてねえ。それがまとまった量、ある。それを見始めると、どっぷりその世界に浸りっきりとなる。この現実を忘れて、向こうの現実にね。これは途中で辞められないよ。しかし、用事があるときは無念だが諦めないといけない」
「あなたの体験ですね」
「疑似体験だ。そういう人を知っている」
「はい」
「それで用件でも仕事でも何でもいい。それをやり出す」
「そのとき、もの凄く勢いが強いのですね」
「やけくそ」
「はあ」
「仕方がないのでやっている。だから荒っぽい。そのかわり勢いがある。それだけだ」
「荒っぽいのですか」
「もう投げやりだ」
「それでも勢いはあると」
「勢いだけはね。早く片付けて、ドラマの続きが見たい」
「ゲームでもいいのですね」
「そうだね」
「調子づいて勢いが強いんじゃないのですね」
「無駄に勢いのあるときは、そんなときだ」
「じゃ、勢いを出すときは、投げやりで、荒っぽく、急いでやるわけですね」
「まあ、そんな勢いは長くは続かないよ。しばらくやっていると、諦めたことも忘れ、それに集中し出す。するといけない。勢いがなくなり、迷いが出る。きっとそれは丁寧にやり始めたからだよ」
「はあ」
「物事はなかなか諦めきれるものではない。嫌々ながら諦めるんだ。だから機嫌が悪い。そんなときは逆に勢いがある。それだけのことだ。分かったかね」
「いいえ」
「あ、そう」
 
   了

 

 


2016年12月29日

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