小説 川崎サイト

 

判で押したような日々から


 谷口は穏やかな日々を送っている。日々遊んで暮らしているようなものだが、大金持ちではないので、お金がかからない過ごし方をしている。人との付き合いは殆どなく、一人暮らしなので、誰とも話さない日の方が多い。それで言葉を忘れたわけではなく、部屋にいるときはインターネットを見たり、そこに書き込んだりしている。SNSというやつだ。そのため、声を出しての会話はないが、言葉は使っている。ただ、キーボードから打ち出す言葉だが。
 平穏無事、何事もなく過ごしているのだが、たまに用事ができる。これは雨戸を閉ざして引き籠もっていても社会とは縁は切れない。電気もガスも社会と繋がっている。それらは自動引き落としで、非接触状態でもいけるが、契約書の書き換えがあった。電気ではなく、別件。これは更新ではなく、また一から申請しないといけないらしい。
 大した契約ではないのだが、その事務所へ行く必要がある。ネット上ではできないし、また郵送でも無理なようだ。
 いつもとは全く違うことをやる。谷口にとり、これが一番の面倒事になる。違うことをするというのは刺激があっていいのだが、それはジャンルにもよる。今回はただの事務手続き。事態は何も変わらないが、放置していると、権限を失う。その前に何度も何度も言ってくるだろう。だから、行く必要はあるが、楽しいことではない。
 送られてきた書類を見ると、準備するものが多い。市役所へ行かないといけないものも含まれている。
 向こうでもこの書類は書けるのだが、いつもの自分の部屋で書いた方が落ち着く。谷口は引っ越して間もないので、自分の住所を暗記していない。やけに長い名のマンション名だし、難しい漢字が一つ入っている。この漢字は何度も覚えたのだが、まだ不安。だから部屋で書いた方が安心。
 ボールペンがない。あることはあるが、インクが出なかったりする。普段から使っていないためだ。手書き文字も、こんなときにしか書かないので、筆順を忘れていたり、それ以前に漢字が出てこない。読めるが書けない漢字が年々多くなっている。
 嫌なことは午前中に済ませたいのだが、朝はいつもの喫茶店でモーニングを食べる癖がついているので、それは外せない。そのあと軽く散歩に出るのだが、これは省略しないといけない。
 それで、喫茶店から戻り、持って行くものを鞄に入れるのだが、ここからいつもの日常コースから出ることになる。本来なら昼頃までのんびりと過ごしており、お昼は何を食べようかと考えているような時間だ。
 しかし、午前中に済ませたいので、いつもは向かわない駅前へ出る。うまく契約できるかどうかが心配で、腹具合が悪くなってきた。
 大した内容の契約ではなく、ただ書類を何枚か書けば済む程度なのに。
 勤めていた頃は、こんなことは誰にでもできる簡単な用事だが、それは毎日がそんな感じだったため。
 さて、結果だが、出直さないといけなくなった。印鑑を忘れてきたのだ。部屋で印鑑を押したあと、そのままだった。
 
   了

 


2017年1月3日

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