小説 川崎サイト

 

未来予測


 未来は何処から来るのか。朝日と共にやってくるのだが、これは一日単位。実際には過去から来る。いきなり今があるわけではなく、過去の積み重ねから押し出されるような感じで今がある。過去に食べてきたもので、体型も変わっているかもしれないし、昔から貧しい状態で、一度も抜け出せなかった場合、今も貧しいままだろう。未来は誰にも分からないが、ある程度は分かる。
 しかし、その未来だが、それを見ているのは今だ。そのため、解釈が刻一刻変わるかもしれない。未来への予測で、台風通過の予測図のようなものだろうか。数日後、ここに来ているとか。
 今を解釈することはできないが、過去を解釈することはできる。因果関係でいえば、因の方だ。この因のようなものには、原因はいくらでもあるし、また良い原因も悪い原因もある。
 また、原因を探るのは振り返っている今で、これは今の状況がかなり反映した切り口になる。だから日により切り口が変わると、解釈も変わる。
 それは未来を何となく予測したとき、いいように予測する場合は、過去から都合のいいものを集めてくる。当然その逆も。
 しかし、先のことを考えるのは、今から未来のことを考えますと、始めるのではなく、何かがあったときだろう。何かがあり、雲行きが怪しくなったとか、光が見えたとか。
 何かスイッチの入るようなことが起きたあと、先読みする。そして、そういった未来予測を何度もしていると、打率が低いこともある。また、未来のそのときに立ってみなければ、それでよかったのかどうかも分からない。その先の、彼方の今の心境など、今思っているものとは違うかもしれない。
 たとえば、祝福されるような未来を約束されている人でも、その時点に立つと、それほどいいものではなかったりするし、大きな失敗を繰り返し、鳴かず飛ばずで終わった人でも、意外と居心地がよかったりする。
 一喜一憂するのは、この先、未来が変わってしまうためだろう。良い意味でも悪い意味でも。
 要するに思っているだけの未来はいつでも取り消せる。今が変われば、未来も変わる。
 
   了

 


2017年1月16日

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