小説 川崎サイト

 

ある旧友


 下村は何年かぶりに都会に出た。殆どのことは近所で間に合うので、大きな街に出る必要がなくなったのと、用事もないためだ。しかし、若い頃は毎日その大都会に通っていた。仕事などで仕方なくだが。
 今回大都会に出たのは、たまには忙しかった頃の風景に接したいため。まるで懐メロを聴くようなものだ。忙しく立ち回っていた現場がそこにある。もう消えてしまった建物もあるが、行きつけの店などはまだ残っているはず。それは数年前の話で、今はどうなっているのかも、見てみたい。
 そして、ターミナル駅を降りたところにある喫茶店で、まずは休憩。この喫茶店は潰れないで残っており、しかも全テーブル喫煙なので、数年前もここで一服している。まだ着いたばかりなのに休憩なのだが、以前はよくモーニングを食べたものだ。
 この店は年寄りが多い。昔ながらの喫茶店のためか、または行きつけの喫茶店として立ち寄るのだろうか。それなら下村と同じだ。
 ただ単にぼんやりと煙草をくゆらせている年寄りもいる。目はもう灰色。
 すぐ横の席を見ると、似た年格好だがノートパソコンを開け、忙しそうにキーボードを叩いている。
「あ」と、下村は声を立てた。仕事仲間の合田だった。
 合田も気付いたようだ。
「合田君だよね」
「そうです。下村さん?」
「そうそう」
 下村の方が先輩なのだ。
「どうしているの、忙しそうだけど」
「ああ、イベントが多くてね。今日は講演とトークショーが重なったし、明日は司会だ。大学の非常勤講師を三つもやっていてね。遠いところにあるので、これは厄介なんだけど」
「あそう」
「下村さんは、どうですか」
「あ、何がですか」
「最近」
「ああ、別に何もやってません」
「そりゃ良い。僕も早くこんな仕事を辞めて、田舎に引っ込みたいのですがね。用事が減るどころか増える一方」
「大変だね」
「まあ、働いている方が元気でいいし」
「そうだね」
「で、今日は?」
「今日?」
 下村の今日の予定は、特にない。
「おっと、遅れてしまう。これで失礼しますよ」
「あ、はいはい」
 合田はノートを鞄にさっと入れ、さっと伝票を掴み、さっと出て行った。
 下村は急いでコーヒーを飲み。そのあとを追った。嘘だと思ったからだ。
 しかし、あとを付けていくと、繁華街を抜けたところにある店屋に入った。看板は横文字でよく読めないが、色々な貼り紙があり、それらはチラシのようで、最近できたライブハウスのようだ。その入り口に貼り付けてられているチラシを見る。おそらく今日の出し物だろう。チラシの文字がよく見えないので、老眼鏡で見ると確かに合田の名前がある。古楽器のイベントらしい。合田はゲストとなっており、演奏するわけではなさそうだ。
 嘘じゃなかったのだ。
 ドアの向こうは臨時の受付があるらしく、ドア越しに店の人が下村を見ている。その奥の店内は既に客の背中で埋まっている。
 合田は現役ばりばりで活躍しているのだ。しかも下村よりも若い。
 下村はターミナル駅へ戻り、狭い通路の奥で、立ち食いそばを食べた。
 
   了


 


2017年2月6日

小説 川崎サイト