小説 川崎サイト

 

幻想の町


 その町が変わってしまったと思うのは、自分が変わったからだ。これはよくある解釈で、木下もそれを取り入れている。しかし、自分で発見した。これは世紀の発見でもないし、言うほどのことでもない。もしかして自分は変わってなく、町だけが変わったのかもしれないのだが、これは町との接し方が違っているのだろう。その町での立ち回り場所が以前とは違っていたり、たまにしか来なかったりとか、久しぶりだと少し様子が違うので、変化も大きい。
 そのためではないが、いつもの立ち回り先で、毎日通っているような町だと徐々の変化を見続けているので、様子の変わり方が理解できる。
 しかし、その日、久しぶりに訪れた木三井の町は、その変わり方とは違うようだ。木三井は珍しい地名なので、印象に残っている。仕事で多いときは週に一度、普段でも月に一度は来ていた。来なくなってから五年以上は立つが、五年でこれほど様変わりしているとは思えない。駅前開発ではなく、駅そのものがなかった。私鉄の駅だが、線路は走っている。この駅だけが廃駅になったのだろうか。しかし配線にでもならない限り、廃駅など聞いたことがない。
 木下はカードなので、木三井までの切符を買ったわけではない。高島田駅の次が木三井駅なのだが、あっさりと通過している。小さな駅なので各駅停車しか止まらないので、急行にでも乗ったのかと勘違いしたが、次の大村駅には止まった。高島田も大村も普通電車しか止まらないので、乗り間違えたのではない。
 木下は大村駅で降り、線路沿いの道を木三井まで戻った。そして駅がないので、驚く。様変わりとしては大きいというより、駅がなくなることは滅多にないだろう。駅前開発の逆だ。
 そして駅前だった広場を見ると。汚らしい木造家屋の店が並んでいる。確かそこに三階建ての銀行のビルがあったし、雑居ビルにはファストフード店が三つほど入っていた。たまに休憩で食べに入ったものだ。それらが全て消えている。
 普通の町の変化とは逆だ。後退というより、時代が後ろに向かっている。時間軸がおかしい。
 そういえばこの木三井駅は新駅で、高島田駅と大村駅の間が長く、また家も建ち始めていたので、電鉄会社が分譲住宅などを造り、できた駅だ。これはかなり前なので、木下にも記憶にない。
 そしてどうやら新駅ができる前の風景に近いようだ。駅ができるまでは大きな屋根のあるバス停だった。当然木下はそんな時代、まだ生まれていなかったはず。
 そして今、立っているのは駅前ではなく、大屋根のあるバス停。その横は郵便局。そして、赤く丸いポスト。これは完全に来ている。
 前方には先ほど見た小汚い木造の店。綿と書かれた大きな看板文字。これは完全に来ているとは思うものの、その先を行ってみたくなった。ここだけが変化しているのだとすれば、どこかで終わるはず。そのままこの調子で昔に戻っているとすれば、大変なことになる。
 木下は綿と書かれた看板の横を通り、商店街らしいところを歩く。確かにこの通りは覚えているが、店屋が全く違う。さらに進むと、パチンコ屋とスマートボールとビリヤード屋が並んでいる。パチンコ屋は確かにあったが、こんな板の壁でできたようなホールではない。
 ドアを開けて覗けば時代が分かるだろう。おそらく手打ちの台に違いない。
 それよりも怖いのは人。風景よりも人と接することだ。
 しかし、見事に無人。まるでゴーストタウン。おそらくパチンコ屋のドアを開けても、無音だろう。
 通りの向こうから動くものが来る。小汚い犬だ。どう見ても野良犬だが、大人しそう。
 久しぶりに来た町が様変わりした程度の問題ではなくなった。この町はこの世かどうかさえ分からない。
 木下は商店街の奥へ奥へと進んでいった。
 
   了


2017年2月7日

小説 川崎サイト